2016年9月、横浜市神奈川区の大口病院で、入院患者の点滴に消毒液が混入され、複数の患者が相次いで中毒死する事件が発覚した。事件を起こしたのは、当時同院に勤務していた元看護師の久保木愛弓(くぼき・あゆみ)だった。最終的に患者3人に対する殺人罪と5件の殺人予備罪が認定され、2024年7月4日付で無期懲役が確定している。
事件から10年となる2026年現在、もう一つ注目されているのが、旧大口病院のその後だ。病院は2017年12月に「横浜はじめ病院」へ名称を変更し、その後、新型コロナウイルス感染症の専門病院として一時的に診療を再開した。しかし、その事業も2023年3月末に終了している。現在の診療状況については、運営法人や行政が公表している情報を照らし合わせる必要がある。
【事件の全貌】横浜大口病院で何が起きた?2016年9月の発覚と被害状況

事件の舞台となったのは、神奈川県横浜市神奈川区大口通にあった大口病院の4階病棟だ。
2016年9月20日午前4時55分ごろ、入院していた88歳の男性患者が死亡した。
このとき、患者に投与されていた点滴袋の中身に異常が見つかった。液体が泡立っており、点滴袋のゴム栓にも不自然な穴が確認されたことから、医療関係者は異物混入の可能性を疑った。
病院からの通報を受けた警察が捜査を開始し、司法解剖などを通じて、点滴に含まれていた異物による中毒死の疑いが明らかになった。
横浜市の公式検証報告書でも、9月20日の男性患者の死亡と、同月18日に亡くなった別の88歳男性について、点滴への異物混入による中毒死の疑いが記録されている。
事件が公になったのは9月23日だった。
被害者は3人。最初の死亡は9月16日だったその後の警察の捜査と裁判によって、2016年9月に同じ病院で亡くなった3人の患者が、連続点滴中毒死事件の被害者として認定された。
被害者は次の3人だ。
- 興津朝江さん:当時78歳
- 西川惣蔵さん:当時88歳
- 八巻信雄さん:当時88歳
重要なのは、3人の死亡がすべて9月20日に発生したわけではないことだ。
最初の被害者である78歳の女性は9月16日に死亡していた。続いて9月18日に88歳の男性、9月20日にもう1人の88歳の男性が亡くなった。
当初はそれぞれの死亡が別個の医療上の出来事として扱われていたが、後の捜査で点滴への異物混入という共通点が判明した。
点滴に混入された消毒液「ヂアミトール」とは事件で使用されたのは、医療現場などで使われる消毒用液「ヂアミトール」だった。
東京高裁の2024年6月19日付判決では、ヂアミトールについて、塩化ベンザルコニウムを成分とする消毒用液と説明されている。
塩化ベンザルコニウムは界面活性剤の一種で、殺菌・消毒用途に使われる化学物質だ。
今回の事件では、被害者の体内や点滴などから関連成分が確認され、中毒死との因果関係が捜査・裁判で検討された。
裁判で認定されたのは、単に消毒液が院内に存在していたという事実ではない。患者3人に対する殺意を伴う行為と、それによって発生した死亡結果だった。
【事件発覚から無期懲役確定まで】大口病院事件の時系列一覧
事件の全体像を把握するには、発覚から逮捕、起訴、裁判、判決確定までを時系列で見ると分かりやすい。
特に注目すべきなのは、事件発覚から容疑者逮捕まで約2年を要したこと、そして最終的な判決確定までにはさらに時間がかかったことだ。
大口病院連続点滴中毒死事件の主要年表事件発覚後、神奈川県警は院内関係者を含めて捜査を続けた。
2018年6月末には元看護師への任意聴取が行われ、7月7日、久保木愛弓が患者1人に対する殺人容疑で逮捕された。
その後、別の被害者に対する殺人容疑でも再逮捕され、捜査が進められた。
2018年12月7日、横浜地検は久保木を患者3人に対する殺人罪と5件の殺人予備罪で起訴した。
ここで押さえておきたいのは、殺人罪3件と殺人予備罪5件は、それぞれ異なる犯罪事実として起訴されたという点だ。
殺人予備罪は、実際に死亡させた事件とは異なり、殺人を実行する前段階の準備行為を処罰する犯罪である。5件が認定されたからといって、5人が死亡したという意味ではない。
【裁判の焦点】久保木愛弓に無期懲役が言い渡された理由とは?
2021年11月9日、横浜地裁が無期懲役判決2021年10月1日、横浜地方裁判所で裁判員裁判の初公判が開かれた。
久保木は起訴された事実を認め、裁判の大きな争点は責任能力と量刑に移った。
検察側は、患者を守るべき立場にあった看護師が、その立場を利用して患者3人を殺害したことを重く評価し、死刑を求刑した。
一方、弁護側は精神状態などを理由に、心神耗弱の状態にあったと主張。無期懲役が相当だと訴えた。
2021年11月9日、横浜地裁は無期懲役を言い渡した。
判決では、被告に自閉スペクトラム症の特性やうつ状態があったことなどを検討しながらも、犯行当時の完全責任能力を認めた。
つまり、精神的な問題が検討されたことと、刑事責任を負わないことは別の問題として判断されたのである。
2024年6月19日、東京高裁の控訴審判決一審判決を不服として、検察側と弁護側の双方が控訴した。
検察側は、患者3人を殺害した重大性などを踏まえ、死刑が相当だと主張した。
弁護側は、一審の無期懲役判断を維持すべきだと主張した。
2024年6月19日、東京高等裁判所は双方の控訴を棄却。横浜地裁の無期懲役判決を支持した。
控訴審判決で重要なのは、裁判所が犯行の重大性を軽く評価したわけではないことだ。
判決は、3人の生命が失われた結果の重大性、計画性、看護師としての立場を利用した犯行態様などを厳しく評価している。
その一方で、犯行に至る心理的な経緯や更生可能性、一審における慎重な量刑判断などを総合的に検討し、死刑を選択することがやむを得ないとまではいえないと判断した。
この判断が、無期懲役維持につながった。
2024年7月4日、無期懲役が正式に確定東京高裁の判決後、検察側と弁護側の双方が上告しなかった。
そのため、2024年7月4日付で久保木愛弓の無期懲役判決が確定した。
2026年10月現在、この事件について刑事裁判の判決を覆す新たな司法判断は確認されていない。
なお、無期懲役は懲役期間があらかじめ定められていない刑罰であり、単純に一定年数を服役すれば自動的に釈放されるというものではない。仮釈放には法律上の要件と審査がある。
事件の判決は確定しているが、久保木の収容先や現在の生活の詳細については、一般に確認できる公的情報が限られている。
【病院名変更の経緯】大口病院はなぜ横浜はじめ病院になった?
2017年12月に「横浜はじめ病院」へ改称旧大口病院は、事件の発覚後に名称を変更している。
運営法人である医療法人財団慈啓会の公式沿革によると、2017年12月に大口病院から横浜はじめ病院へ改称された。
共同通信の事件解説では、事件のイメージを払拭するための名称変更として紹介されている。
ただし、名称変更そのものと、事件後の病院運営の再建は分けて考える必要がある。
名前が変わったからといって、事件の現場や過去の出来事が消えるわけではない。名称変更後も、同じ所在地の施設として運営法人の沿革に記録されている。
2019年以降の休診と新型コロナ専門病院としての再開横浜はじめ病院は、名称変更後も一般診療を行っていたが、2019年8月から休診状態に入ったと報じられている。
その後、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、施設の新たな活用が進められた。
2021年11月26日の横浜市長定例記者会見では、横浜はじめ病院をコロナ専門病院として開設する方針が説明された。
当時の計画では、許可病床85床のうち60床をコロナ専門病床として活用することになっていた。
2022年1月には運営法人から診療再開のお知らせが公表された。
ただし、このときの診療は一般の外来診療ではない。自宅療養中の新型コロナ患者のうち、医師が入院治療を必要と判断した人などを対象とする専門的な入院医療だった。
患者が通常の病院のように直接来院する仕組みでもなかった。
2023年3月31日、コロナ専門病院としての事業終了横浜市の公式発表によると、横浜市コロナ専門病院は2021年12月に開院し、高齢者や基礎疾患のある患者を中心に早期診断・早期治療を担ってきた。
しかし、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが変更されることなどを踏まえ、運営法人との協定期限である2023年3月31日をもって事業を終了した。
ここで注意したいのは、終了したと公式発表されているのは、あくまで横浜市コロナ専門病院としての事業だということだ。
この発表だけで、建物の閉鎖や法人による施設の廃止まで断定することはできない。
2026年10月現在、横浜はじめ病院は診療している?現在の状況を判断するうえで、重要なのが次の3つの公表情報だ。
1.横浜市の公式情報
横浜市は、コロナ専門病院の事業が2023年3月31日に終了したことを公表している。
この終了後に、一般診療が再開したという情報は、同市の当該事業に関する公表ページでは確認できない。
2.運営法人・慈啓会の公式情報
2026年10月現在、慈啓会の公式ウェブサイトには、運営医療機関の一つとして横浜はじめ病院の名称が掲載されている。
一方、同サイトの公開情報からは、横浜はじめ病院の現在の外来受付時間や通常診療の再開日を確認できない。
3.神奈川県の2026年医療機関名簿
神奈川県が2026年10月15日に更新した医療機関名簿のページでは、令和8年4月版の病院名簿が公開されている。
この名簿を確認すると、横浜はじめ病院の名称は掲載されていない。
ただし、神奈川県自身も、名簿と実際の状況が変更されている場合があるため、最新情報は医療機関に直接問い合わせるよう案内している。
以上を整理すると、2026年10月現在、横浜はじめ病院については、次のように理解するのが適切だ。
- 2019年から休診状態に入ったとの報道がある。
- 2021年12月からコロナ専門病院として運営された。
- 2023年3月31日にコロナ専門病院としての事業は終了した。
- 運営法人の公式サイトには病院名が残っている。
- 現在の一般診療や入院受け入れの再開を裏付ける公的な案内は確認できない。
したがって、横浜はじめ病院が2026年現在、通常の患者を受け入れて診療していると判断できるだけの公表情報はない。
「名称変更したから現在も通常営業している」「コロナ専門病院の事業が終了したから施設自体が閉院した」という両方の理解には注意が必要だ。
【横浜市の検証】大口病院事件が医療安全行政に残した課題
この事件は、元看護師による殺人事件という側面だけでなく、医療機関と行政の安全管理体制にも大きな課題を突きつけた。
その検証を行ったのが、横浜市医療安全業務検証委員会である。
横浜市は事件前から複数の情報を受け取っていた横浜市が公表した「横浜市の医療安全業務に関する検証報告書」には、事件の前後に市へ寄せられた情報と、その対応経過が詳しく記録されている。
特に注目されるのが、2016年8月から9月にかけて寄せられていた病院に関する通報だ。
検証報告書によると、8月26日には、看護師が漂白剤らしきものが混入した飲み物を飲んだという内容を含む通報があった。
加えて、9月20日午前11時45分には、大口病院で点滴に漂白剤らしきものが混入された事件が発生したとの情報がメールで寄せられていた。
ところが、市が事件を把握したのは9月23日午後7時ごろだった。
厚生労働省からの問い合わせを受けて、横浜市の担当者が事件を認識した経緯が記録されている。
つまり、9月20日に届いた情報が、事件の発覚と同時に行政の緊急対応へ結び付いたわけではなかった。
検証委員会が指摘した行政対応の問題点横浜市医療安全業務検証委員会は、2017年3月に検証報告書をまとめた。
その内容は、単に担当者個人の対応を批判するものではない。情報を受け取った際の組織的な対応や、担当者が不在の場合のフォロー体制、関係機関との連携など、行政の仕組みそのものを検証している。
主な論点は次のとおりだ。
- 重大な事案につながる可能性がある通報への迅速な対応
- 情報提供者に対する詳細な事実確認
- 通報への対応責任者と担当範囲の明確化
- 個人の判断に依存しない組織的な対応ルールの整備
- 警察や医療機関との連携体制の強化
また、病院への立入検査に関しても、医療安全管理体制や院内感染対策、職員研修、医療機器の管理などの改善事項が示されている。
この検証は、事件そのものの刑事責任を判断するためのものではない。行政が受け取った情報をどう扱い、医療機関の安全をどのように監督するべきだったかを検証するものだった。
2026年10月現在も、横浜市の医療安全推進協議会の公式ページでは、当時の検証報告書や対応指針が公開資料として確認できる。
医療現場に残された教訓大口病院事件が医療現場に残した最大の課題は、患者の安全を特定の職員の善意や良識だけに依存させてはならないという点だ。
医療機関では、医薬品や医療材料の管理、患者への投与記録、職員間の情報共有、異常を発見した場合の報告体制など、複数の安全対策が必要になる。
加えて、問題を発見した職員が安心して報告できる環境も欠かせない。
横浜市の検証報告書が組織的な対応や通報体制を取り上げたのは、医療安全が一人の職員や一つの部署だけで完結する問題ではないためだ。
患者が安心して治療を受けられる環境を守るには、医療機関、行政、警察などがそれぞれの役割を果たし、情報を適切につなぐ必要がある。
【誤解を整理】大口病院事件について知っておきたい事実と未確認情報
事件について調べる際には、報道された情報と裁判で認定された事実を区別することが重要だ。
特に、死亡者数や余罪、病院の現在の状況については、情報が混同されやすい。
「48人が殺害された」という情報は事実なのか?事件についての報道では、2016年7月から事件発覚までの約3か月間に、旧大口病院の4階病棟で48人の患者が死亡したという情報が取り上げられた。
しかし、これは当該期間の死亡者数に関する報道であり、48人全員が殺害されたという意味ではない。
刑事裁判で殺人が認定されたのは3人だ。
死亡者数と殺人事件の被害者数を混同しないことが重要である。
「20人以上を殺害した」という話は本当なのか?逮捕当時の報道では、久保木が多数の患者の点滴に消毒液を混入したという趣旨の供述をしたことが伝えられていた。
しかし、報道された供述の人数と、裁判で証拠に基づいて認定された殺人事件の件数は別のものだ。
最終的に有罪が確定したのは、患者3人に対する殺人罪と5件の殺人予備罪である。
それ以外の死亡事例を、すべて久保木による殺人と断定することはできない。
横浜はじめ病院は閉院したのか?横浜市が公表しているのは、コロナ専門病院としての事業が2023年3月31日に終了したという事実だ。
運営法人の公式サイトには横浜はじめ病院の名称が掲載されている一方、2026年現在の通常診療の実施状況は明確に確認できない。
したがって、コロナ専門病院の終了をそのまま正式な閉院と同一視するのは適切ではない。
久保木愛弓の刑は現在も無期懲役なのか?2024年7月4日付で無期懲役が確定している。
2026年10月現在、この事件に関して判決が変更されたという公的情報は確認されていない。
【よくある質問】横浜大口病院に関するFAQ
Q1:横浜大口病院の事件はいつ発覚しましたか?
事件が発覚するきっかけとなったのは、2016年9月20日に起きた88歳男性患者の死亡です。点滴袋の異常が見つかり、警察の捜査によって消毒液の混入が疑われました。事件が報道されたのは同月23日です。
Q2:大口病院事件の犯人は誰ですか?
当時、同病院で看護師として勤務していた久保木愛弓です。2018年7月7日に逮捕され、患者3人への殺人罪などで起訴されました。
Q3:久保木愛弓の判決はどうなりましたか?
2021年11月9日に横浜地裁が無期懲役を言い渡し、2024年6月19日の東京高裁控訴審でも判決が維持されました。双方が上告せず、2024年7月4日付で無期懲役が確定しています。
Q4:点滴に混入された薬品は何ですか?
消毒用液のヂアミトールです。塩化ベンザルコニウムを成分とし、界面活性剤の一種に分類される物質を含んでいました。
Q5:大口病院は現在も横浜はじめ病院として診療していますか?
横浜はじめ病院は、2021年12月にコロナ専門病院として運営を開始しましたが、2023年3月31日にその事業を終了しています。2026年10月現在、通常診療の再開を裏付ける公的な案内は確認できません。
Q6:大口病院事件で殺害された患者は何人ですか?
裁判で殺人罪が認定された被害者は3人です。5件の殺人予備罪も認定されていますが、これは5人が死亡したという意味ではありません。
横浜市神奈川区の旧大口病院で発生した点滴連続中毒死事件は、2016年9月の発覚から約8年を経て、2024年7月4日に刑事裁判の判決が確定した。
元看護師の久保木愛弓には、患者3人への殺人罪と5件の殺人予備罪が認定され、最終的な刑は無期懲役となった。
病院は2017年12月に横浜はじめ病院へ改称。その後、コロナ専門病院として一時的に診療を再開したものの、2023年3月末に同事業を終了している。2026年現在の一般診療の状況については、公開情報だけでは明確な再開を確認できない。
そして、この事件が残したものは刑事裁判の結果だけではない。
横浜市医療安全業務検証委員会の報告書が示したように、重大な異常を把握した際の情報共有、行政の対応、医療機関内部の安全管理には、組織として取り組むべき課題があった。
患者が医療機関に求めるのは、適切な治療だけではない。自分の命を安心して預けられる環境そのものだ。
大口病院事件を振り返るうえで忘れてはならないのは、亡くなった3人の患者と遺族の存在、そして同じ悲劇を二度と繰り返さないための医療安全の仕組みづくりである。
主な参考資料
- 横浜市「横浜市の医療安全業務に関する検証報告書」
- 横浜市「横浜市コロナ専門病院の事業終了について」
- 横浜市医療安全推進協議会・公開資料
- 東京高等裁判所・2024年6月19日判決(令和3年(う)第2081号)
- 医療法人財団慈啓会・法人概要および沿革
- 神奈川県「令和8年4月 神奈川県医療機関名簿」