2026年、柄本佑さんは複数のテレビ番組で母親との思い出を語りました。なかでも注目されたのが、2月20日放送のTBS系「A-Studio+」、2月27日放送のフジテレビ系「ぽかぽか」、6月7日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」です。
それぞれの番組で語られたエピソードからは、女優としての実力だけでなく、家庭でのユニークな一面も見えてきます。
1.ラップ好きだった母親「a.k.a.しゃもじ」2026年2月20日放送の「A-Studio+」で、佑さんは母親の意外な趣味を明かしました。
角替さんは一時期ラップに凝っており、自分で「a.k.a.しゃもじ」という名前まで付けていたそうです。
家に帰ると、息子にラップバトルを仕掛けてくることもあったといいます。
佑さんは番組で、母親について次のように振り返りました。
「そんな陽気な母ちゃんだった。凄いチャーミングで、天然で、おもろいっすよね」
また、母親と二人芝居を経験した際には、何時間でも稽古を続けられる演劇的な体力に感心したとも話しています。
このエピソードは、スポニチが2026年2月21日に報道しています。舞台に対する真剣さと、家族の前で見せるお茶目な姿。その両方が角替さんの魅力だったのでしょう。
2.母親の命令で家族4人がピアスを開けた2026年6月7日放送の「おしゃれクリップ」では、佑さんが中学生時代の驚きのエピソードを披露しました。
当時、角替さんは息子のファッションにも独特の考えを持っていたそうです。
佑さんによると、中学校に進学した際、母親から「アンタなんか、顔が古いからちょっとでも今風にしてくれねえか」という趣旨の言葉をかけられたとのこと。
その結果、ピアスを開けることになりました。
さらに驚くのは、佑さんだけではなかったことです。
父親の柄本明さん、姉、佑さん、弟の時生さんという家族4人が、同じタイミングでピアスを開けたと明かしました。
一般的には親が子どものピアスを止めるイメージもありますが、角替さんはむしろ家族全員のファッションを変える側だったようです。
番組では劇団東京乾電池の江口のりこさんも、子どものころの佑さんについて、成長するにつれてピアスや髪染めなどで変化していく様子を見ていたと証言しました。
3.母親と俳優として向き合った二人芝居「A-Studio+」で佑さんが語った母親への評価で、特に印象的なのが演劇に対する姿勢です。
佑さんは、角替さんと二人芝居をした経験を振り返り、母親の稽古に対する集中力と体力に驚いたと話しました。
親子という関係を離れ、同じ舞台に立つ俳優として母親を見たとき、その実力を改めて実感したのでしょう。
家庭ではラップバトルを仕掛ける陽気な母親でありながら、舞台では妥協しない演劇人だったという対照的な姿が、2026年の番組を通じて伝わりました。
【俳優デビューのきっかけ】母親の一言が柄本佑さんの人生を変えた

角替和枝さんと柄本佑さんの関係を語るうえで、もう一つ欠かせないのが、佑さんの俳優デビューにまつわる話です。
父親も母親も俳優という家庭で育った佑さんですが、子どものころから俳優を目指していたわけではありません。
最初の夢は俳優ではなく映画監督2026年2月27日放送の「ぽかぽか」で、佑さんは小学生時代の夢について語りました。
当時の夢は映画監督になることだったそうです。
きっかけは勝新太郎さん主演の映画『座頭市』でした。勝新太郎さんの演技に魅了され、その作品を撮影した監督はもっとかっこいい存在なのではないかと考えたといいます。
映画を観るだけでなく、作品を作る側に興味を持っていたのです。
佑さん自身も、幼いころから監督という仕事を知っていたのは、映画や演劇が身近にある家庭環境の影響だったと振り返っています。
「どうせ落ちるけど、監督に会えるよ」という母の言葉俳優として最初の一歩を踏み出すきっかけになったのは、角替さんの言葉でした。
2003年公開の映画『美しい夏キリシマ』のオーディションを受けることになった佑さん。
しかし、本人は俳優になることを強く希望していたわけではありませんでした。
そこで母親が伝えたのが、オーディションに落ちても映画監督に直接会えるという考え方でした。
「オーディションどうせ落ちるけど、あんた監督面接行ったら生で映画監督見れるんだよ」
この言葉に興味を持った佑さんは、オーディションに参加します。
待っていたのは、映画『祭りの準備』などで知られる黒木和雄監督でした。
結果として佑さんは役を獲得し、『美しい夏キリシマ』で主演デビューを果たします。
このエピソードは2026年2月20日放送の「A-Studio+」で語られ、日刊スポーツも翌21日に詳しく報じました。
母親は俳優への道を強制したわけではなかったこの話で注目したいのは、角替さんが息子に俳優になることを一方的に勧めたわけではない点です。
佑さんが関心を持っていたのは、映画を作る監督という存在でした。
母親はその興味を理解し、映画監督に会えるという別の魅力を提示しました。
その結果、本人が自分の意思でオーディションに参加し、俳優としての道を歩み始めたのです。
俳優一家に生まれたから自然に俳優になったという単純な話ではありません。映画好きの少年の好奇心を、母親が実際の経験につなげたことが大きな転機になりました。
【死因と最期】角替和枝さんは2018年10月27日に原発不明がんで死去
角替和枝さんは、2018年10月27日早朝、64歳で亡くなりました。
死因は原発不明がんです。
2018年10月28日、夫の柄本明さんが所属事務所を通じて訃報を公表しました。
原発不明がんとはどのような病気?原発不明がんとは、十分な検査を行っても、がんが最初に発生した臓器を特定できないがんのことです。
国立がん研究センターのがん情報サービスによると、転移したがんは確認されていても、発生した元の臓器が分からないケースを指します。
つまり、原発不明という言葉は、がんの存在や病気そのものが分からないという意味ではありません。
角替さんの場合、報道によれば約1年間の闘病生活を送っていました。
2018年10月27日から28日にかけて公表された経緯2018年10月27日早朝、角替さんは都内の自宅で亡くなりました。
翌28日、柄本明さんが所属事務所を通じて妻の死去を報告しました。
柄本明さんは、長年応援してきたファンや関係者に感謝を伝えるとともに、葬儀は近親者のみで執り行うことを説明しました。
また、後日お別れの会を案内する予定であることを伝え、家族をそっとしておいてほしいという意向も示しました。
家族に見守られながら迎えた最期日刊スポーツの2018年10月28日の報道によると、角替さんは夫の柄本明さんや長男の佑さんらに見守られながら息を引き取りました。
次男の時生さんは海外で仕事をしていたため、最期を看取ることはできなかったと報じられています。
家族の希望によって葬儀は密葬で営まれました。
なお、原発不明がんという病名は公表されていますが、角替さん個人の詳しい発症経過や治療内容については、広く公表された情報は限られています。
【プロの結論】角替和枝さんが柄本佑さんに残したもの
角替和枝さんの人生を振り返ると、女優としての実績と母親としての影響力という、2つの側面が見えてきます。
一つは、劇団東京乾電池で長年活動し、映画やドラマにも出演してきた演劇人としての功績です。
もう一つは、息子の興味や個性を尊重しながら、人生のきっかけを与えた母親としての姿です。
特に、俳優デビューにつながったオーディションの話は象徴的です。母親は息子の夢を無理に変えようとせず、映画監督に会いたいという本人の気持ちを後押ししました。
また、2026年の番組で明かされたラップやピアスのエピソードからは、世間が抱く「名女優」というイメージだけでは捉えきれない、自由でユーモラスな人物像が伝わります。
角替さんが息子に残したものは、演技の技術や芸能界での人脈だけではなかったのでしょう。映画を楽しむ心、好奇心を行動につなげる姿勢、そして人を笑わせる明るさも、佑さんの語る母親像を形作っています。
【柄本佑の母親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:柄本佑さんの母親は誰ですか?
A1:女優の角替和枝さんです。夫は俳優の柄本明さんで、次男は俳優の柄本時生さんです。
Q2:角替和枝さんの死因は何ですか?
A2:原発不明がんです。2018年10月27日に64歳で亡くなりました。
Q3:角替和枝さんはどんな作品に出演していましたか?
A3:NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』『おひさま』『花子とアン』のほか、映画『居酒屋ゆうれい』『マリと子犬の物語』『釣りバカ日誌20 ファイナル』などに出演しています。
Q4:柄本佑さんと角替和枝さんの俳優デビューに関するエピソードは?
A4:佑さんは映画監督を目指していましたが、母親から映画監督に会えることを勧められ、オーディションに参加。2003年公開の『美しい夏キリシマ』で主演デビューしました。
Q5:角替和枝さんと安藤サクラさんの関係は?
A5:安藤サクラさんは柄本佑さんの妻であり、角替和枝さんにとっては義理の娘です。2012年に佑さんと安藤さんが結婚しました。
Q6:2026年に柄本佑さんは母親について何を語りましたか?
A6:2026年2月の「A-Studio+」では、母親がラップに熱中し「a.k.a.しゃもじ」と名乗っていたことや、二人芝居での演技力を語りました。2月の「ぽかぽか」では俳優デビューのきっかけ、6月の「おしゃれクリップ」では家族4人でピアスを開けた思い出を明かしました。
Q7:角替和枝さんは劇団東京乾電池の創設者ですか?
A7:劇団東京乾電池は1976年に柄本明さん、ベンガルさん、綾田俊樹さんによって結成されました。角替さんは後に加入し、長年にわたって劇団を支えた女優です。
柄本佑さんの母親である角替和枝さんは、舞台・映画・ドラマで活躍した実力派女優でした。
2018年10月27日に原発不明がんで64歳で亡くなりましたが、その演技と人柄は、2026年になっても息子の言葉を通じて伝えられています。
特に印象的なのは、次の3つのエピソードです。
- 映画監督を目指していた佑さんに、オーディション参加のきっかけを与えたこと。
- ラップに熱中し、家でも息子にラップバトルを仕掛けるほど陽気だったこと。
- 演劇では妥協せず、息子が俳優として尊敬するほどの実力を持っていたこと。
角替和枝さんは、柄本佑さんにとって単なる俳優の母親ではなく、人生の好奇心を広げ、演技の世界を教えてくれた大切な存在だったのです。
2026年のテレビ出演で語られた思い出は、女優・角替和枝の功績だけでなく、一人の母親としての温かく自由な人柄を改めて伝えるものとなりました。