長谷部銀次は、愛知県岡崎市出身の左投左打の投手です。1998年7月29日生まれで、2026年10月現在は28歳。広島では背番号39を着け、主に救援投手として一軍定着を目指してきました。
日本野球機構(NPB)やスポーツナビの選手プロフィールに掲載されている基本情報は次のとおりです。
- 名前: 長谷部銀次(はせべ・ぎんじ)
- 生年月日: 1998年7月29日
- 年齢: 28歳(2026年10月現在)
- 出身地: 愛知県岡崎市
- 身長・体重: 184cm・90kg
- 投打: 左投左打
- ポジション: 投手
- 所属球団: 広島東洋カープ(2026年10月24日に来季契約を結ばない旨の通告)
- 背番号: 39
- ドラフト: 2022年ドラフト6位
184cmの長身から力のある直球を投げ込むサウスポーで、ドラフト当時は最速149キロの速球と多彩な変化球が評価されていました。社会人野球で経験を積んでからプロ入りした、即戦力に近いタイプの投手として期待されていた選手です。
【中京大中京・慶応大・トヨタ自動車】長谷部銀次の経歴とドラフト6位指名まで

長谷部の野球人生を振り返ると、高校、大学、社会人という3つの異なるカテゴリーで経験を積み重ねてきたことが分かります。特に大学時代の故障を乗り越え、社会人野球で評価を高めた過程は、プロ入りを理解するうえで重要です。
中京大中京高校で甲子園出場長谷部は愛知県の野球強豪校、中京大中京高校に進学しました。
高校1年春からベンチ入りを経験し、2年夏には2015年の全国高校野球選手権大会に出場。チームは3回戦まで進出しました。ただし、当時は甲子園での登板機会はありませんでした。
高校時代から全国大会を経験したことは、その後の大学野球、社会人野球につながる土台になりました。
慶応大学では故障を経験高校卒業後は慶応大学に進学。東京六大学野球でプレーしました。
大学2年春にリーグ戦初登板を果たしましたが、腰痛分離症の手術を経験するなど、故障に苦しみました。大学通算の登板は7試合にとどまっています。
一方、4年秋には4試合で5回1/3を投げ、被安打1、無失点という好成績を記録。限られた登板機会のなかでも、投手としての力を示しました。
トヨタ自動車で実力を伸ばし、広島からドラフト6位指名2021年にトヨタ自動車へ入社し、社会人野球の舞台に進みます。
トヨタ自動車では、直球だけでなく変化球も組み合わせる投球で評価を高めました。2022年夏の都市対抗野球大会ではチームのベスト4進出に貢献しています。
そして2022年10月20日のドラフト会議で、広島東洋カープから6位指名を受けました。
この指名は、長谷部にとって大学時代の故障を乗り越えた先にあるプロ入りでした。なお、NPBの公式ドラフト選択選手一覧にも、広島の6位指名選手として長谷部の名前が掲載されています。
【2024〜2026年最新成績】長谷部銀次の一軍・二軍の実績を比較
長谷部のプロ生活を数字で振り返ると、2024年の好スタート、2025年の一軍と二軍の成績の大きな差、2026年の二軍での不振という変化が見えてきます。
以下は一軍とファーム(二軍)の年度別投手成績です。ファームの数値は公開されている年度別成績資料、2026年分はNPBのファーム公式記録を基に整理しています。
H=ホールド、S=セーブ。防御率は自責点を基にした数値。
2024年から2026年にかけての成績の推移は、スポーツナビ、プロ野球データプラス、NPBの公開記録でも確認できます。
2024年:プロ初登板で無失点デビュー長谷部がプロ初登板を果たしたのは、2024年7月21日の阪神戦です。甲子園球場で10点ビハインドの七回に登板しました。
先頭打者を直球で打ち取り、次の打者には四球を与えましたが、後続を併殺打に仕留めて1イニングを無失点で終えました。最速148キロを記録し、プロ初登板として上々の内容でした。
当時のファームでは開幕から好投を続け、昇格直前には19試合で1勝2敗、防御率1.02を記録していました。シーズン終了時の二軍成績も25試合、防御率1.17と優秀でした。
また、9月15日のDeNA戦では初めてマツダスタジアムのマウンドに立っています。長谷部本人も、後年のインタビューで甲子園でのプロ初登板とマツダスタジアムでの登板を印象深い出来事として挙げました。
2025年:二軍で23試合連続無失点も一軍で苦戦2025年は二軍で35試合に登板し、1勝1敗2セーブ、防御率2.18を記録しました。シーズン初登板から23試合連続無失点という安定した投球も見せています。
ところが、一軍では5試合の登板で5回1/3を投げ、9失点。防御率は15.19でした。
二軍で好成績を残しながら、一軍では結果を残せなかったことが、このシーズンの大きな課題です。救援投手として一軍の打者に対応する力を、さらに高める必要がありました。
2026年:二軍でも防御率9.86まで悪化2026年は一軍登板がありませんでした。
ファームでは21試合に登板し、21イニングで36安打を許し、0勝3敗、防御率9.86という成績に終わりました。奪三振は13、与四球は12、自責点は23です。
2025年の二軍防御率2.18から大きく数字を落としており、一軍昇格を目指すうえでも厳しいシーズンになりました。NPBの2026年度ファーム個人投手成績にも、この数字が記録されています。
【左腕としての武器と課題】なぜ一軍定着を果たせなかったのか
長谷部の投手としての特徴は、184cmの体格を生かした力強い直球と、変化球を織り交ぜる投球です。左投手という希少性もあり、救援陣の選択肢を増やす存在として期待されました。
プロ野球では、左腕の救援投手は相手打線の左右の構成や試合展開に応じて起用されることがあります。そのため、単に球速があるだけでなく、短い登板機会で安定して打者を抑える能力が大切です。
長谷部の場合、2024年には一軍7イニングで被安打1、無失点、防御率0.00という結果を残しました。しかし、登板数は5試合であり、長期的に一軍で通用することを証明するには登板機会が十分とはいえませんでした。
翌2025年には二軍で安定していた一方、一軍では5回1/3で9失点。さらに2026年は二軍でも被安打36、防御率9.86と苦しみました。
こうした数字から読み取れる課題は、大きく3つあります。
1. 一軍での継続的な結果が不足していたこと。 2024年の好投を翌年以降につなげられませんでした。
2. 一軍と二軍の成績に大きな差があったこと。 二軍で抑えられても、一軍で同じ結果を出すことができませんでした。
3. 2026年にファームでの安定感まで失ったこと。 21イニングで36安打を許し、防御率も9.86まで悪化しました。
もちろん、防御率だけで投手の能力すべてを判断することはできません。救援投手は登板状況や対戦打者、試合展開によって成績が変動しやすいポジションです。しかし、2024年から2026年までの推移を見ると、安定した投球を継続することが長谷部にとって最大の課題だったと考えられます。
【2026年10月24日の戦力外通告】長谷部銀次が広島を離れることになった経緯
2026年10月24日、広島東洋カープは長谷部銀次に対し、2027年シーズンの選手契約を結ばないと通告しました。
同日に戦力外通告を受けたのは、ケムナ誠、松本竜也、日髙暖己、辻大雅、中村貴浩を含む6選手です。球団は来季の戦力構想を見直すなかで、長谷部との契約を更新しない判断をしました。
戦力外通告に至った主な要因今回の通告に至った背景として、最も分かりやすいのは2026年の成績です。
2025年の二軍で防御率2.18という結果を残していた長谷部ですが、2026年は防御率9.86まで悪化。一軍登板もなく、シーズンを通じて首脳陣に十分なアピールをすることができませんでした。
一軍通算成績も、4年間で10試合、0勝0敗1ホールド、防御率6.57。2024年のデビュー直後には期待を抱かせましたが、その後の登板機会を増やすことができませんでした。
日刊スポーツの報道によると、長谷部自身もキャンプで開幕一軍をつかめなかったことについて「自分の力不足が一番」と振り返っています。球団の判断だけでなく、本人も結果を受け止めていたことが分かります。
戦力外通告を受けた本人のコメント中国放送(RCC)の2026年10月24日のインタビューでは、球団からの説明や今シーズンの心境について語っています。
「結果が全ての世界になるので、その結果を残すことができなかったっていうことに尽きると思います」
また、2026年については、挑戦しても思うようにいかないことが繰り返され、苦しい1年だったと振り返りました。
一方、4年間の広島生活を通じて印象に残ったのは、ファンからの声援だったといいます。特に、マツダスタジアムだけでなく、二軍の由宇練習場まで足を運んで応援してくれたファンへの感謝を口にしました。
【杉田玄白の子孫という話は本当?】家系の根拠と長谷部銀次の今後
長谷部銀次について野球以外で話題になったのが、江戸時代の蘭学者・杉田玄白の子孫という家系です。
杉田玄白は、江戸時代にオランダ語の医学書を翻訳し、『解体新書』の刊行に携わった人物です。日本の近代医学史を語るうえで欠かせない存在として知られています。
杉田玄白との関係は母方の家系2022年10月20日のドラフト会議当日、スポーツニッポンは長谷部が杉田玄白の子孫であることを報道しました。
同紙によると、杉田玄白を初代とした場合、長谷部は9代目に当たり、母方の家系でつながっています。また、杉田家の分家筋であることも紹介されました。
日刊スポーツもドラフト会議当日と仮契約時の報道で、長谷部の母方の祖先に杉田玄白がいると伝えています。
したがって、この話はネット上で突然広まった出所不明の噂ではなく、プロ入り当時の本人に関する報道に基づく情報です。ただし、杉田玄白の直系本家の姓を受け継いでいるという意味ではありません。母方の祖先につながる分家筋という説明が正確です。
2026年10月現在の進路は?11月17日のトライアウトを予定戦力外通告後の長谷部は、現役続行を視野に入れて動いています。
10月24日のRCCのインタビューでは、秋季練習を通じて状態が少しずつ上向いている感覚があるとして、トライアウトを受ける考えを示しました。
「トライアウトは受けようと今は考えています」
加えて、NPBだけに選択肢を限定するのではなく、必要としてくれるチームや環境があれば、そこで自分の力を出したいという考えも明かしています。
その後、10月28日のデイリースポーツの報道では、11月17日にバンテリンドームで予定されているトライアウトへの参加に前向きな姿勢が伝えられました。秋季練習を通じて状態が上がってきているという手応えも語っています。
今後の進路として考えられるのは、次のような選択肢です。
- NPB球団への再挑戦: トライアウトなどを通じて、他球団との契約を目指す。
- 独立リーグへの挑戦: 実戦登板を重ね、投球内容を改善しながらNPB復帰を目指す道。
- 社会人野球などへの復帰: トヨタ自動車での経験を生かし、再び社会人野球でプレーする可能性。
- 野球以外の道: 現役続行以外の進路を検討する選択肢。
ただし、これらは一般的な進路の選択肢であり、2026年10月30日時点で長谷部の新所属先が正式発表されたわけではありません。本人が明らかにしているのは、トライアウトを受ける意向と、必要としてくれる環境でプレーしたいという考えです。
【長谷部銀次に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:長谷部銀次は現在何歳ですか?
1998年7月29日生まれで、2026年10月現在28歳です。愛知県岡崎市出身で、左投左打の投手です。
Q2:長谷部銀次はなぜ戦力外通告を受けたのですか?
2026年に一軍登板がなく、二軍でも21試合で0勝3敗、防御率9.86と苦戦したことが大きな背景です。2025年の二軍防御率2.18から大幅に成績を落とし、広島は2027年シーズンの契約を結ばない判断をしました。
Q3:長谷部銀次のプロ初登板はいつですか?
2024年7月21日の阪神戦です。甲子園球場で1イニングを投げ、被安打0、無失点の投球を披露しました。
Q4:長谷部銀次は杉田玄白の直系子孫ですか?
報道によると、母方の祖先に杉田玄白がおり、玄白を初代とすると9代目に当たるとされています。ただし、杉田家の分家筋という説明です。
Q5:長谷部銀次は現役を引退するのですか?
2026年10月30日時点で引退を表明していません。11月17日のトライアウトを受ける意向を示しており、NPB以外のチームも含め、現役続行を模索しています。
Q6:長谷部銀次の広島での背番号はいくつでしたか?
背番号39です。2026年10月24日の広島球団関連の公式商品案内にも、契約終了選手として39番の長谷部銀次が掲載されています。
長谷部銀次は、中京大中京高校、慶応大学、トヨタ自動車という経歴を持ち、2022年ドラフト6位で広島に入団した左腕投手です。
プロ2年目の2024年には一軍デビューを果たし、5試合で防御率0.00、二軍でも防御率1.17を記録しました。2025年も二軍では23試合連続無失点を含む好成績を残しましたが、一軍では防御率15.19と苦しみました。
そして2026年は一軍登板なし、二軍防御率9.86という成績に終わり、10月24日に戦力外通告を受けました。
一方、28歳という年齢で野球人生に区切りをつけるのではなく、トライアウトを通じて新天地を探す姿勢を見せています。11月17日のトライアウトは、今後の進路を左右する重要な機会になるでしょう。
長谷部のキャリアを評価する際に注目したいのは、2024年の一軍デビューだけでも、2026年の戦力外通告だけでもありません。大学時代の故障、社会人野球での成長、二軍での好成績、そして一軍で結果を残す難しさという、4年間の積み重ねです。
杉田玄白の子孫という話題性も持つ長谷部ですが、野球選手としての本当の評価は、これからどのような環境で投球を続け、再び実績を積み上げられるかにかかっています。広島の背番号39から新しいユニホームへ。今後の挑戦に注目が集まります。