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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の真相は?1970年の経緯と教訓を徹底解説

橘 ゆい 橘 ゆい • 更新: • 公開: • 読了約 25 分
目次

1970年7月、北海道日高山脈のカムイエクウチカウシ山で、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の学生5人がヒグマに襲われる重大な山岳遭難事故が発生した。3人が死亡し、2人が生還したこの事件は、日本の登山史に残る深刻なヒグマ被害として知られている。 事故が起きたのは、九ノ沢カールから八ノ沢カールへ向かう山域。7月25日から27日までの3日間、学生たちは食料を狙うヒグマに繰り返し遭遇し、逃げ場を失っていった。

事件から56年が経過した2026年現在も、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、クマの食料への執着、人間の食べ物による誘引、山岳パーティーの判断、遭遇後の避難行動を考える重要な事例となっている。国立国会図書館に登録された事故報告書や当時の記録、後年の関係者の証言を照らし合わせると、一般に知られている物語とは異なる事故の実像も浮かび上がる。

【事件の基本情報】福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは?

ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、1970年(昭和45年)7月、北海道の日高山脈で起きたヒグマによる襲撃事故である。

事件の舞台となったのは、標高1,979メートルのカムイエクウチカウシ山。通称「カムエク」とも呼ばれるこの山は、北海道の険しい山岳地帯に位置し、深い沢や急峻な地形が広がる。

事故に遭ったのは、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の夏季合宿に参加していた学生5人だった。

当時の正式名称は「ワンダーフォーゲル同好会」

事件は一般に「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」と呼ばれている。

しかし、当時の組織の正式名称は福岡大学ワンダーフォーゲル同好会だった。事故報告書の発行者も福岡大学ワンダーフォーゲル同好会と記録されている。

現在の福岡大学ワンダーフォーゲル部の公式サイトでも、1970年に北海道・日高山脈で部員がヒグマに遭遇した事故として紹介されている。

同サイトは、テレビ番組やインターネット上で事実に基づかない脚色が行われていることへの懸念も表明している。

事件の基本データ
項目 内容
発生年 1970年(昭和45年)
発生日 7月25日~27日
大学 福岡大学
当時の組織名 ワンダーフォーゲル同好会
参加人数 5人
発生場所 北海道日高山脈
主な現場 カムイエクウチカウシ山周辺
主な幕営地 九ノ沢カール・稜線付近
死亡者 3人
生存者 2人
加害したとみられる個体 ヒグマ1頭
事故報告書 北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書
報告書の発行 1970年8月

なぜカムイエクウチカウシ山が選ばれたのか

5人の目的は、北海道の日高山脈を縦走する夏季合宿だった。

当初は日高山脈北端の芽室岳から南下し、ペテガリ岳を目指す計画だった。長期間にわたる山行で、メンバーは食料や登山装備を携行しながら山中を移動していた。

ところが、実際の行程では予定より時間がかかり、残りの食料や日数を考慮する必要が生じた。

7月23日には、当初の目的地だったペテガリ岳まで進むことを断念し、カムイエクウチカウシ山付近で合宿を切り上げて下山する方針に変更している。

つまり、事故は無計画な登山の最中に発生したわけではない。一定の登山経験と準備を持つ学生たちが、長期縦走の終盤で予想外の危険に遭遇した事故だった。

【1970年7月25~27日】5人は何をしていた?ヒグマ襲撃の全経緯

事故を理解するうえで重要なのが、ヒグマが最初に現れた7月25日から、生存者が山麓にたどり着いた27日までの行動記録である。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会が作成した事故報告書には、時間ごとの行動やメンバーの判断が記されている。

7月25日:九ノ沢カールで最初の遭遇

7月25日、5人はエサオマントッタベツ岳や春別岳方面を経て、午後3時20分ごろ九ノ沢カールに到着した。

ここでテントを設営し、夕食を済ませて休んでいた午後4時30分ごろ、メンバーの一人がヒグマを発見する。

クマはテントから数メートルほどの場所に姿を現し、周囲をうろついていた。

当初、学生たちはクマの様子を観察していたが、やがてテントの外に置いてあったキスリング(大型登山用ザック)を漁り始める。

中に入っていた食料を食べていることに気づいた学生たちは、クマの動きをうかがいながら、ザックをテント内へ移動させた。

加えて、火を起こし、ラジオの音量を上げ、食器を鳴らすなどしてクマを遠ざけようとした。

ヒグマはいったん姿を消した。

しかし、午後9時ごろ再び現れ、テントに爪を立てて穴を開けた。その夜、学生たちは2人ずつ交代で見張りを行った。

7月26日:テントが破られ、2人が救援要請へ

翌26日午前4時30分ごろ、ヒグマが再び出現する。

今度はテントに接近し、内部へ侵入しようとした。

学生たちはテントのポールを押さえ、幕をつかんで抵抗したが、クマの力に耐えられなくなり、全員が外へ逃げ出した。

ヒグマは倒れたテントの周囲に残り、ザックの中の食料を漁っていた。

この段階でリーダーは、メンバー2人に下山してハンターの出動を要請するよう指示する。

2人は途中で北海道学園大学の登山グループと遭遇した。相手のグループもヒグマに襲われて下山しているところだった。

事情を伝え、ハンターへの連絡を依頼した2人は、食料や地図などの支援も受けて再び仲間のもとへ戻る。

午後1時ごろ、5人は再合流した。

その後、稜線を移動し、テントの修繕や食事を済ませて次の行動に備えた。

7月26日夕方:再び現れたヒグマ、5人が離散

夕方、学生たちがテントを設営して休もうとしていたところ、ヒグマが再び姿を現した。

これ以上その場所にとどまることは危険と判断し、5人はテントから離れて様子をうかがった。

クマはその場を離れず、学生たちは日中に存在を確認していた鳥取大学の登山グループに助けを求めることにした。

向かった先は八ノ沢カール方面だった。

ところが、移動中にヒグマが再び追ってくる。

学生たちは一斉に走り出したが、ハイマツの茂みなどで散り散りになり、全員が一緒に行動できなくなった。

一部のメンバーは岩場に避難し、別のメンバーは無人のテントに逃げ込むなど、それぞれが生き延びるための行動を取った。

7月27日:濃霧の中で再襲撃

翌27日朝、現場は濃い霧に覆われていた。

岩場に避難していた3人は、周囲の状況を確認しながら下山を開始する。

しかし、行動開始から約15分後、わずか数メートル先に再びヒグマが現れた。

3人は地面に身を伏せたが、クマが唸り声を上げると、そのうち1人が立ち上がり、カール方向へ逃げていった。ヒグマもその後を追った。

残った2人は山の斜面を移動し、八ノ沢を下って救助を求めることに成功した。

これによって、5人のうち2人が生還し、残る3人の消息が途絶えた。

【3人死亡・2人生還】救助活動とヒグマの最期

5人のうち2人が下山したものの、3人の安否は分からなかった。

救助活動は、天候や山岳地形、ヒグマが現場に残っている可能性などによって難航した。

7月28日:救助活動が難航

生存者からの連絡を受け、警察や大学関係者、山岳関係者らが対応を開始した。

しかし、現場周辺は悪天候や濃霧、乱気流などの影響を受け、ヘリコプターによる捜索は十分に進まなかった。

地上からの救助活動についても、負傷したヒグマが現場にいる可能性があり、慎重な対応が求められた。

翌29日以降、ハンターや山岳関係者を含む捜索隊が本格的な捜索を進めることになった。

7月29~30日:3人の遺体を発見

7月29日、捜索隊は八ノ沢カール付近で2人の遺体を発見した。

翌30日には、残る1人の遺体も見つかった。

3人はいずれもヒグマによる激しい損傷を受けており、事件の深刻さが改めて明らかになった。

捜索活動中には、現場付近にヒグマが姿を現し、ハンターによって射殺された。

日高山脈山岳センターの事故記録によると、この個体は推定4歳の雌で、体重は約130キログラムだった。

現在も日高山脈山岳センターには、事件に関係するヒグマの剥製が展示されている。

事件の結末を整理
時期 出来事 結果
7月25日 九ノ沢カールでヒグマと遭遇 食料を荒らされる
7月26日早朝 テントが襲撃される 2人が救援要請へ
7月26日午後 5人が再合流 稜線付近へ移動
7月26日夕方 ヒグマが再出現 5人が散り散りになる
7月27日朝 濃霧の中で再び遭遇 2人が下山に成功
7月29日 捜索隊が2人を発見 2人の死亡を確認
7月29日 現場付近でヒグマを射殺 捜索活動を継続
7月30日 最後の1人を発見 死亡者3人が確定

この事件で見落としてはならないのは、最初の襲撃で全員が命を落としたわけではないという点だ。

学生たちは複数回にわたって危険を回避しようとした。しかし、食料を狙って接近するヒグマが繰り返し現れ、移動先でも安全を確保できなかった。

最終的に、3人が死亡し、2人が生還するという痛ましい結果になった。

【ヒグマが執着した理由】食料への誘引と異常な行動の真相

この事件で特に注目されるのが、ヒグマがなぜ学生たちを繰り返し追いかけたのかという問題だ。

一般的なクマの遭遇事故では、人間が突然近づいたことによる防御的な攻撃や、子グマを守るための攻撃などが考えられる。

しかし、この事件ではテントの外にあった食料を漁り、その後も学生たちの移動先に現れる行動が確認されている。

食料を奪った後もテントに戻ってきた

事故報告書によれば、最初にヒグマが出現した際、学生たちのキスリングはテントの外に置かれていた。

ヒグマはその中の食料を食べ始めた。

学生たちはザックをテント内に移したが、その後もクマは戻ってきて、テントに穴を開けた。

翌朝にはテントそのものを襲い、内部のザックを漁っている。

この一連の行動から、ヒグマが食料の存在を認識し、その獲得に強く執着していた可能性が考えられる。

北海道森林管理局も、ヒグマが残飯などを食べると食料に執着し、登山者につきまとう行動を取る恐れがあると注意喚起している。

前日に別の登山グループもヒグマと遭遇していた

この事件には、あまり知られていない重要な背景がある。

福岡大学の学生たちだけでなく、北海学園大学関係者らの登山グループも、前日の7月24日に同じ山域でヒグマと遭遇していた。

2026年10月28日公開のNumber Webの記事では、そのグループに参加していた生還者への取材が紹介されている。

証言によれば、ヒグマは登山者が休憩する山頂付近に現れ、人間を恐れる様子をあまり見せなかったという。

当時の登山者が残した食べかすなどを目当てにしていたのではないか、という見方も示されている。

ここで注意したいのは、この証言者は福岡大学の生還者2人ではなく、事件前日にヒグマと遭遇した別グループの関係者だという点だ。

この証言は、ヒグマが福岡大学の学生たちに遭遇する以前から、人間の活動する場所や食料に接近していた可能性を考えるうえで重要である。

射殺されたヒグマは本当に加害個体だったのか

事件後に射殺されたヒグマについても、慎重な検証が必要だ。

日高山脈山岳センターの記録では、射殺された個体を事件に関係するヒグマとして紹介している。

一方、後年の動物学的な検証を紹介した山岳専門記事では、射殺された個体が学生たちを襲ったことを直接証明する証拠は確認されていないと説明されている。

ただし、現場付近に現れたことや、人間を恐れない行動、発見場所などから、加害個体である可能性が高いと考えられている。

つまり、事件後に射殺されたクマと襲撃個体の同一性には、証拠上の慎重な整理が必要だ。

ヒグマが執着した理由についての整理
検証項目 分かっていること 評価
食料への接近 ザック内の食料を漁った 記録あり
テントへの再接近 7月25日夜、26日朝に出現 記録あり
人間への追跡 移動中の学生を追った 記録あり
人間の食べ残しへの関心 前日に別グループも遭遇 証言あり
食料への執着 行動経過と北海道森林管理局の注意事項が整合 有力な説明
人間を襲った唯一の理由 単一の動機を確定できる証拠はない 断定できない

この事件を「人間を食べるためだけに追いかけたクマ」と説明するのは単純化しすぎている。

食料への誘引、人間への警戒心の低下、繰り返し接近する行動などが重なった可能性を考える必要がある。

【遭難報告書と生存者の証言】後年の脚色と実際の記録を比較

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件を詳しく知るための最重要資料が、事故直後に作成された『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』である。

この資料は単なる事故概要ではない。

当日の行動記録、捜索活動、メンバーの装備、食料、計画、事故後の反省などが収録された38ページの記録である。

『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』とは?

国立国会図書館サーチの書誌情報によれば、この報告書は次の内容で登録されている。

- 著者:福岡大学ワンダーフォーゲル同好会
- 出版者:福岡大学体育会ワンダーフォーゲル同好会
- 出版年:1970年8月
- ページ数:38ページ
- 資料形態:紙

つまり、事件が発生した年の8月に、当事者側の組織がまとめた資料である。

2025年には登山専門メディアのYAMA HACKが、当時の写真や資料を含む報告書の内容を公開した。元編集部員が同好会に関係する資料を確認し、当時のメンバーやOB会の了承を得て掲載した経緯も説明されている。

報告書が明らかにした意外な事実

事件については、「学生たちは十分な準備をしていなかった」「経験不足が原因だった」という説明が見られることがある。

しかし、事故報告書の内容は、そうした単純な説明とは異なる。

当時の記録では、次のような準備が確認できる。

1.長期縦走に向けた食料の準備

実際の行動日数13日分に加え、予備食5日分を携行していた。

2.登山装備の準備

日高山脈の縦走だけでなく、沢歩きや渡渉、危険箇所に対応するための装備も準備していた。

3.登山計画の作成

他大学の縦走記録や山岳資料を参考にし、エスケープルートも複数設定していた。

4.気象への対応

天気図用紙を20枚携行し、NHKの気象通報を参考に天気図を作成していた。

こうした事実から、装備や食料の不足だけを事故原因とすることはできない。

クラブ自身が認めた反省点

さらに重要なのが、報告書に収録された事故後の反省記録である。

そこでは、クラブの活動方針や登山に対する姿勢についても検討されている。

特に注目すべきなのは、体力や根性を重視するあまり、困難に直面したときに計画を途中で断念する謙虚さが不足していたという反省だ。

また、ミーティングの重要性を軽視する傾向があったことも記されている。

これは、単にヒグマの知識が不足していたという話ではない。

登山活動において、計画を達成することと、安全を確保することの優先順位をどう設定するかという問題だった。

後年の脚色と事実を区別する
よくある説明 資料から分かる事実 判定
5人全員が登山初心者だった リーダーやサブリーダーには登山経験があった 誤解
登山計画を提出していなかった 登山計画書などを提出して入山していた 誤解
食料が不足していた 予備食5日分を含めて準備していた 誤解
クマが一度現れただけだった 25日から27日にかけて繰り返し出現した 誤解
巨大な2メートル超の怪物だった 後年の記録では射殺個体は約130kgの雌と推定 単純化
事故の原因は学生の不注意だけだった ヒグマの行動、当時の知識、判断、クラブの活動方針などが関係 単純化

生存者の証言と最後に残された手帳

事件を考えるうえでは、現場で記録されたメモや手帳も重要である。

山と溪谷オンラインが2026年10月に掲載した羽根田治氏の記録では、事故当時の手帳に残された文章が紹介されている。

その一節には、避難中の学生が感じていた不安と、故郷に帰りたいという思いが記されていた。

ああ、早く博多に帰りたい。

この言葉は、現場で見つかった手帳に記されていたものだ。

生還者の行動記録や現場に残された手帳は、事故が単なる「ヒグマとの格闘」ではなく、学生たちが極度の恐怖の中で生き延びようとしていた遭難だったことを伝えている。

また、2026年10月のNumber Webの取材では、事件前日に同じヒグマと遭遇した別グループの生還者が、長年にわたる記憶や恐怖について証言している。

その証言は福岡大学の生還者のものではないが、同じ山域で起きた出来事を別の角度から理解する貴重な記録となっている。

【福岡大学ワンゲル部事故の教訓】2026年に必要なヒグマ遭遇時の登山対策

56年前の事故から学べることは、現在の登山にも直結する。

北海道の山には、現在もヒグマが生息している。登山者が野生動物の生活圏に入る以上、遭遇の危険を完全になくすことはできない。

しかし、遭遇する可能性を下げることや、危険な状況を避けるための準備はできる。

1.登山前にヒグマの出没情報を確認する

最初に行うべきなのは、登山予定地の最新情報を確認することだ。

北海道では、市町村や警察などがヒグマの目撃情報や注意喚起を発信している。

2026年には北海道のヒグマ警報・注意報制度についても運用要領が改正されている。地域によって状況が異なるため、古い登山記録だけを頼りに入山することは避けたい。

2.食料やゴミを絶対に放置しない

この事件から得られる最大の教訓の一つが、食料管理である。

ヒグマは人間の食べ物や残飯に誘引されることがある。

登山中は次の点を徹底したい。

- 食べ物を外に放置しない。
- 生ゴミや食べ残しを必ず持ち帰る。
- 食料のにおいが漏れないように密閉する。
- 指定された場所ではフードロッカーなどを利用する。
- テントと調理場所、食料保管場所を適切に分ける。

環境省の知床登山ガイドでは、指定野営地でテント、調理場所、食料保管場所を十分に離す方法が紹介されている。

これは、クマが食料のにおいを追ってテントに近づく危険を減らすための対策だ。

3.複数人で行動し、人間の存在を知らせる

ヒグマとの突然の遭遇を防ぐためには、登山中に人間の存在を知らせることも重要だ。

北海道警察は、次のような対策を呼びかけている。

- クマ鈴やラジオなどを携行する。
- 複数人で行動する。
- 見通しの悪い場所では周囲を注意する。
- 足跡やフンなどを発見したら引き返す。
- 出没情報がある場所への入山を慎重に判断する。

ただし、鈴やラジオは万能ではない。音を出していれば絶対に安全というわけではないため、周囲への警戒を続ける必要がある。

4.ヒグマに遭遇したら食料を取り返さない

特に重要なのが、ヒグマが食料や荷物を手にした場合の対応である。

福岡大学の事故では、ヒグマがザックの中の食料を漁り、学生たちの移動先にも繰り返し現れた。

現在の環境省の知床登山ガイドでは、クマに食料やゴミを取られた場合、絶対に取り返そうとせず、落ち着いて退避するよう案内している。

また、クマと遭遇した場合には、次の行動が推奨されている。

- 絶対に近づかない。
- クマを刺激しない。
- 背を向けて走らない。
- クマを見ながら静かにゆっくり後退する。
- クマが立ち去るまで無理に通行しない。

突然襲われる事態に備えて、クマ撃退スプレーを携行し、事前に使い方を理解しておくことも重要だ。

5.異常な接近があれば登山計画を中止する

ヒグマが食料を荒らした、テントに接近した、何度も姿を現したといった状況では、通常の登山計画を続けるべきではない。

特に、クマが人間や食料に執着しているように見える場合は、音を鳴らして追い払うことだけに頼るのは危険である。

安全な場所への退避を優先し、現場の状況に応じて下山や救助要請を判断する必要がある。

北海道森林管理局も、登山計画に予備日やエスケープルートを設け、無理な行程を避けることを推奨している。

【よくある質問】福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件に関するFAQ

Q1:福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は何年に起きた?

A1:1970年7月25日から27日にかけて、北海道の日高山脈にあるカムイエクウチカウシ山周辺で発生した。福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の学生5人がヒグマに遭遇し、3人が死亡、2人が生還した。

Q2:ヒグマはなぜ学生たちを何度も追いかけた?

A2:事故記録では、ヒグマが学生たちのザックに入った食料を漁り、移動後も繰り返し接近したことが分かっている。人間の食べ物への執着や、人間に対する警戒心の低下が関係した可能性がある。ただし、襲撃の動機を一つに確定することはできない。

Q3:生き残った学生は何人?

A3:5人のうち2人が生還した。2人は7月27日に下山して救援を求め、残る3人は7月29日と30日の捜索活動で遺体となって発見された。

Q4:ヒグマはその後どうなった?

A4:7月29日、捜索活動中に現場付近に現れたヒグマがハンターによって射殺された。推定4歳の雌で体重は約130キログラムとされる。ただし、射殺された個体と襲撃個体が同一であることについては、後年の検証で証拠上の留保も示されている。

Q5:事件の詳細が分かる資料はある?

A5:福岡大学ワンダーフォーゲル同好会が1970年8月に発行した『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』がある。国立国会図書館サーチにも書誌情報が登録されており、YAMA HACKでは当時の報告書の内容が紹介されている。

Q6:現在の登山者が最も注意すべきことは?

A6:ヒグマの出没情報を事前に確認し、食料やゴミを適切に管理することが基本となる。遭遇した場合は近づかず、走って逃げず、落ち着いて距離を取る。食料を奪われた場合も、取り返そうとしてはいけない。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、1970年7月、北海道日高山脈のカムイエクウチカウシ山周辺で発生した重大な山岳遭難事故である。

5人の学生がヒグマに繰り返し襲われ、3人が命を落とし、2人が生還した。

この事件を理解するうえで重要なのは、学生たちが登山計画や装備を準備していたにもかかわらず、当時のヒグマに対する知識や現場での判断だけでは対応しきれない事態に直面したことだ。

事故報告書には、食料管理の問題だけでなく、計画を中断する判断、自然に対する謙虚さ、クラブの活動方針についての反省も残されている。

また、ヒグマの食料への執着や、人間の食べ物による誘引という問題は、2026年の登山安全対策にもつながっている。

山では、予定を達成することよりも、生きて帰ることを優先しなければならない。

北海道の山に入る際は、最新のヒグマ出没情報を確認し、食料を適切に管理し、危険を感じたら迷わず計画を変更することが大切だ。

56年前に失われた3人の命と、残された事故報告書が伝える教訓を、現在の登山者が安全を守るための知識として受け継いでいく必要がある。

主な参考資料:福岡大学ワンダーフォーゲル同好会『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』(1970年8月)、国立国会図書館サーチ、福岡大学ワンダーフォーゲル部公式サイト、日高山脈山岳センター、YAMA HACK、YAMAP MAGAZINE、山と溪谷オンライン、北海道森林管理局、北海道警察、環境省。

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橘 ゆい

美容と食の記事を6年担当。成分表示や商品の公式ページ、店舗の公式メニューを確認してから紹介しています。

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