SixTONESの京本大我は、端正なビジュアルと伸びやかな歌声、繊細な表現力で知られるアーティストだ。俳優・京本政樹を父に持つことから、幼い頃から芸能界に囲まれて育ったイメージを持つ人も多い。しかし、本人が2022年12月24日公開の集英社「MAQUIA」のインタビューで語った幼少期は、そうした印象とは少し異なるものだった。
実際の京本大我は、紙と色鉛筆で絵を描き、夏休みの自由研究に夢中になり、友達と同じようにアニメやヒーローを楽しむ少年だった。父・京本政樹との間には、絵を一緒に描いたり、自分でデザインしたギターをプレゼントしてもらったりした、創作にまつわる思い出もある。2026年現在のアート活動にもつながる少年時代の素顔を、本人の証言や父親のインタビューをもとに整理する。
【プロフィール】京本大我はどんな子供だった?幼少期の基本情報

京本大我の幼少期を知るうえで、まず押さえておきたいのが本人の生い立ちと家族環境だ。
京本大我の基本プロフィールSixTONES公式プロフィールによると、京本大我は1994年12月3日生まれ、東京都出身。父親は俳優の京本政樹である。
2026年11月現在は31歳。2015年に結成されたSixTONESのメンバーとして活動し、2020年1月22日にCDデビューを果たした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 京本大我(きょうもと たいが) |
| 生年月日 | 1994年12月3日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 血液型 | B型 |
| 父親 | 俳優・京本政樹 |
| 所属グループ | SixTONES |
| ジャニーズ事務所入所 | 2006年・11歳 |
| SixTONES結成 | 2015年 |
| CDデビュー | 2020年1月22日 |
| 現在の活動 | アイドル、俳優、音楽活動、アート活動など |
出典:SixTONES公式プロフィール、SixTONES公式ヒストリー。
芸能一家で育ったものの、芸能界が身近だったわけではない父親の京本政樹といえば、時代劇から現代劇まで幅広い作品に出演してきた俳優だ。
そのため、京本大我も幼少期から父親の仕事を見て育ち、自然に芸能界に憧れるようになったと思われがちだ。
ところが、本人の説明は少し違う。
MAQUIAのインタビューでは、父親は自分の出演作品を積極的に見せることもなく、映画や音楽を勧めてくることもなかったと振り返っている。
つまり、父親が有名俳優だったからといって、幼い頃から芸能活動を目指していたわけではない。
むしろ、芸能界とは距離を置いた、ごく普通の家庭生活を送っていたことが本人の言葉から伝わってくる。
【本人インタビュー】京本大我は絵と自由研究が大好きな少年だった
京本大我の幼少期を象徴するエピソードが、絵を描くことと夏休みの自由研究だ。
この話は、2022年12月24日に公開された集英社「MAQUIA」の本人インタビューで詳しく語られている。
紙と色鉛筆だけで何時間も楽しめた京本は、幼い頃から絵を描くことが大好きだったという。
特別な道具がなくても、紙と色鉛筆があれば長い時間楽しめた。何かを作ること自体に喜びを感じていたようだ。
注目したいのは、単に絵を描くことが好きだっただけではない点だ。
自分の頭の中で考えたものを、実際に目の前に作り上げていく過程に大きな楽しさを感じていたという。
これは、後に音楽や写真、絵画など幅広い創作活動に取り組む京本の個性を理解するうえでも興味深いエピソードだ。
夏休みの自由研究で作った海の絵が印象的本人が特に記憶に残っていると語ったのが、小学生時代の夏休みの宿題で制作した海の絵だ。
単純に海の風景を描くだけではなく、作品に立体感を持たせる工夫をしていた。
具体的には、次のような制作方法だった。
- 大きなキャンバスに海の風景を描く。
- 浜辺の部分に家族旅行で拾った本物の貝殻を貼り付ける。
- 絵の中に立体的な表現を取り入れる。
- 自分の想像を膨らませながら、より面白い作品に仕上げる。
特に印象的なのは、家族旅行で拾った貝殻を作品に再利用していたことだ。
旅行の思い出をそのまま作品の素材に変え、平面の絵に立体感を加えるという発想には、幼い頃からの工夫好きな一面が表れている。
自由研究という決められた課題の中でも、自分なりの表現を追求していたのだ。
幼少期の性格は「想像力が豊かで、好きなことに没頭するタイプ」これらのエピソードから見えてくるのは、京本大我の創作に対する自然な集中力だ。
誰かに評価されるためというより、自分が面白いと思ったことを試し、形にしていくことそのものが楽しかったのだろう。
海の絵に貝殻を貼り付けた話からも、完成形を想像しながら工夫を加える姿勢がうかがえる。
幼少期の性格を一言で表すなら、好奇心が強く、自分の好きなことに深く入り込める少年だったと考えられる。
これは本人が語った具体的な制作体験に基づく見方だ。
【父・京本政樹との親子エピソード】絵とギターに込められた愛情
京本大我の幼少期を語るうえで欠かせないのが、父親・京本政樹との関係だ。
親子のエピソードには、単に有名人の父親と息子という関係を超えた、創作を通じた交流が見られる。
父親から絵を教わっていた京本大我によると、父親は美術系の学校で学んだ経験があり、幼い頃から一緒に絵を描いて遊んでくれたという。
2025年の写真展に関する音楽ナタリーの会見レポートでは、京本政樹が多摩美術大学出身であることも紹介されている。
絵を好きになった背景には、こうした父親の影響があった。
ただし、父親が自分の作品や芸能活動を息子に押し付けていたわけではない。
本人は、父親が芸能の仕事について積極的に教え込むことはなかった一方、絵を描く楽しさは自然に共有してくれたと振り返っている。
芸能界の先輩としてではなく、創作を楽しむ身近な存在として父親と接していたことがうかがえる。
誕生日に贈られた「タイガー」のギター特に有名なのが、小学生時代の誕生日にまつわるギターのエピソードだ。
ある日、父親は京本の目の前に真っ白な画用紙を置き、自分が作りたいギターのデザインを描いてみるよう提案した。
京本は、自分の名前である「大我」にちなんで、ギターのボディに大きなトラの絵を描いた。
加えて、当時好きだった緑色とオレンジ色で彩色したという。
そのデザインが実際のギターとして形になり、誕生日の贈り物として手元に届いた。
本人は、そのときの喜びや感動を今も覚えていると語っている。
このギターは大人になってから手の大きさが変わり、演奏には使えなくなったものの、お気に入りの品として現在も自分の部屋に飾っているという。
父親から譲り受けたギターはもう一つあるここで混同しやすいのが、父親から受け取ったギターがもう一つあることだ。
2023年2月のスポニチの報道によると、京本大我は小学生の終わり頃、父親からギブソンのアコースティックギター「B-25」を譲り受けていた。
父親は、ギターに興味を持ったら練習に使うようにという思いで渡したという。
ただし、京本は当時すぐに弾き始めたわけではなかった。
後にA.B.C-Zの戸塚祥太からギターを譲り受けたことなどをきっかけに、楽器に触れるようになったと説明している。
つまり、誕生日にデザインした特別なギターと、父親から譲り受けたGibson B-25は別のエピソードだ。
この違いを整理すると、幼少期の京本にとってギターは、最初から音楽の道具だったというより、父親との創作や思い出を象徴する存在でもあったことが分かる。
【アニメ・ヒーロー好き】京本大我の意外な少年時代と性格
美しい歌声やミュージカルでの繊細な表現から、幼い頃から音楽や演劇に親しんでいたような印象を受ける人もいるかもしれない。
しかし、本人の証言によると、実際はそうではなかった。
周囲の友達と同じようにアニメやヒーローが好きだったMAQUIAのインタビューで京本は、幼少期には周囲の友達と同じようにアニメやヒーローに夢中になっていたと説明している。
芸能人の息子だからといって、特別な趣味や英才教育に囲まれていたわけではない。
父親が俳優だったことと、本人がエンターテインメントに関心を持っていたことは、必ずしも同じではなかったのだ。
本人は、ジャニーズ事務所に入るまでは音楽や芝居、芸能界にほとんど興味がなかったとも語っている。
この証言は、京本大我の少年時代を理解するうえで要点だ。
好きなものへのこだわりは大人になっても健在同じMAQUIAのインタビューでは、大人になった現在も好きなものと興味のないものへの温度差が大きいという、自身の性格について触れている。
特に好きな作品として挙げているのが「名探偵コナン」だ。
興味のあるものには強いこだわりを見せる一方、関心が薄い分野には無頓着な一面もあるという。
幼少期の絵や自由研究のエピソードと合わせて考えると、好きなことに集中し、自分の感性を大切にする姿勢は、長く続いている個性の一つだと考えられる。
ただし、幼い頃から現在とまったく同じ趣味だったと断定することはできない。本人が語っているのは、アニメやヒーローを楽しんでいたこと、そして好きなものに強い関心を示す現在の性格だ。
【芸能界入りのきっかけ】ハワイ旅行の写真が11歳の人生を変えた
京本大我が芸能界に入ることになった経緯も、幼少期の興味深い出来事の一つだ。
本人が2022年10月放送の日本テレビ系「世界まる見え!テレビ特捜部」で語ったところによると、きっかけは家族で出かけたハワイ旅行だった。
10歳の頃、ハワイの和食店で撮影した写真当時10歳だった京本は、家族旅行で訪れたハワイの和食店で、店の女性オーナーと一緒に写真を撮影した。
その写真は店内に飾られていたという。
その後、店を訪れたジャニー喜多川氏が写真に目を留め、写っていた少年について尋ねた。
そして翌日、京本家に電話がかかってきた。
京本本人の説明によると、電話を受けた家族を通じて呼ばれたことが、芸能界への入り口になった。
父親の京本政樹も、2019年の日刊スポーツの取材で、ハワイの行きつけの和食店で撮影された息子の写真がスカウトにつながった経緯を語っている。
親子双方の証言が、この出来事を裏付けている。
11歳でジャニーズ事務所に入所京本大我は2006年、11歳でジャニーズ事務所に入所した。
父親の京本政樹は、ニッポン放送の2022年の番組で、当時の息子についても振り返っている。
入所後、京本は当時ヒットしていた「青春アミーゴ」の振り付けを自宅で練習していたという。
父親が、どうせ取り組むならもっと大きく踊った方がよいと助言したところ、帰宅時には練習によって家のじゅうたんが毛玉だらけになっていたというエピソードも明かされた。
それほど一生懸命に練習していたのだ。
加えて、KAT-TUNのコンサートに誘われて見に行った際、ジャニー喜多川氏によって突然ステージに上げられたこともあったと父親は語っている。
こうした出来事を経て、少年だった京本大我は少しずつ芸能活動の世界へ進んでいった。
京本大我の幼少期から現在までの年表| 時期 | 出来事 | 関係する人物・情報 |
|---|---|---|
| 1994年12月3日 | 東京都で誕生 | SixTONES公式プロフィール |
| 幼少期 | 絵を描くことに夢中になる | 本人のMAQUIAインタビュー |
| 小学生時代 | 貝殻を貼り付けた海の絵を自由研究で制作 | 本人のMAQUIAインタビュー |
| 小学生時代 | トラを描いたオリジナルギターを贈られる | 父・京本政樹 |
| 10歳頃 | 家族旅行で訪れたハワイの和食店で写真を撮影 | ジャニー喜多川氏のスカウトにつながる |
| 2006年 | 11歳でジャニーズ事務所に入所 | 日刊スポーツの報道 |
| 2015年 | SixTONES結成 | SixTONES公式ヒストリー |
| 2020年1月22日 | SixTONESとしてCDデビュー | 公式ディスコグラフィー |
| 2024年9月 | クリエイティブプロジェクト「ART-PUT」始動 | ART-PUT公式サイト |
| 2025年 | 写真展「視点と始点」を開催 | 音楽ナタリーなどの報道 |
| 2026年 | ART-PUTで継続的に作品・コンテンツを発表 | ART-PUT公式サイト |
【2026年の活動と幼少期の共通点】京本大我の創作意欲はどこから来たのか
京本大我の少年時代を振り返ると、現在の活動との間に興味深い共通点が見えてくる。
それは、ジャンルにとらわれず、自分の感性を使って何かを生み出すことへの関心だ。
2024年に始動したART-PUT2024年9月、京本大我は自身のクリエイティブプロジェクト「ART-PUT」を始動させた。
公式サイトでは、日々のさまざまなインプットを音楽などのアートへと昇華していくプロジェクトとして紹介されている。
音楽だけでなく、写真や映像なども含め、自分の感性を作品として発信していく活動だ。
2026年にも公式サイトで新しいコンテンツやミュージックビデオが公開されており、継続的な創作活動が確認できる。
写真展と油絵にも見える幼少期からの延長線2025年3月には、初の写真展「視点と始点」を開催した。
音楽ナタリーの会見レポートによると、京本はカメラだけでなく油絵にも取り組み、抽象画や人物画など複数の作品を制作していた。
また、学生時代には美術部でデッサンや油絵を経験していたことも明かしている。
幼い頃に紙と色鉛筆で絵を描き、自由研究で海の風景に貝殻を貼り付けていた少年が、大人になって写真や油絵にも表現の幅を広げている。
この歩みを振り返ると、創作活動は突然始まったものではなく、幼少期から続く興味の延長として捉えられる。
「二世だから芸能界に入った」という見方だけでは説明できない京本大我の経歴を語る際、父親が有名俳優であることは避けて通れない。
しかし、幼少期の本人の証言を整理すると、父親の影響は芸能界への道筋だけではなかった。
絵を教えること、一緒にデザインを考えること、ギターを形にして贈ること。
こうした親子の交流は、表現する楽しさを育てる環境として機能していたと考えられる。
一方、芸能界への直接的なきっかけは、ハワイ旅行で撮影した写真を通じたスカウトだった。
父親が芸能人だったことと、本人が芸能界に入ることになった経緯は、分けて理解する必要がある。
【よくある誤解を整理】京本大我の幼少期について知っておきたいこと
京本大我の幼少期には、父親の知名度や現在の活動から生まれたイメージと、本人が語った実際のエピソードに違いがある。
特に押さえておきたいのは次の3点だ。
1. 幼少期から芸能界を目指していたわけではない
本人は、ジャニーズ事務所に入るまでは音楽や芝居、芸能界に特別な興味がなかったと語っている。子供時代はアニメやヒーローを楽しむ普通の少年だった。
2. 父親から音楽や芸能の英才教育を受けていたわけではない
父親は自分の出演作品を積極的に見せていたわけではなかった。一方、絵を一緒に描くなど、創作面では自然な交流があった。
3. 父親から贈られたギターは一つだけではない
自分でデザインしたトラ柄のギターと、小学生の終わり頃に譲り受けたGibson B-25は別の楽器だ。それぞれ異なる思い出がある。
この3点を整理することで、京本大我の少年時代をより立体的に理解できる。
【よくある質問】京本大我の幼少期に関するFAQ
Q1:京本大我は子供の頃、どんな性格でしたか?
A1:本人のインタビューからは、想像力が豊かで、好きなことに集中する性格がうかがえます。特に絵を描くことや自由研究が好きで、作品に独自の工夫を加えることを楽しんでいました。
Q2:京本大我は幼少期から絵が上手だったのですか?
A2:幼い頃から絵を描くことが好きだったと本人が語っています。夏休みの自由研究では、海の絵に本物の貝殻を貼り付け、立体感を出す工夫をしていました。
Q3:京本大我の父親は誰ですか?
A3:俳優の京本政樹です。幼い頃から一緒に絵を描いて遊び、誕生日には本人がデザインしたギターを贈るなど、創作を通じた親子エピソードがあります。
Q4:京本大我がジャニーズ事務所に入ったのは何歳ですか?
A4:2006年、11歳のときです。10歳頃に家族で訪れたハワイの和食店で撮影した写真がジャニー喜多川氏の目に留まり、スカウトにつながりました。
Q5:京本大我は子供の頃から音楽が好きだったのですか?
A5:本人によると、ジャニーズ事務所に入るまでは音楽や芝居、芸能界に特別な興味はありませんでした。幼少期は絵や自由研究、アニメやヒーローなどを楽しんでいました。
Q6:京本大我は父親からギターを教わったのですか?
A6:父親からギターを譲り受けたエピソードがあります。ただし、幼少期に贈られたオリジナルデザインのギターは思い出の品であり、別にGibson B-25も譲り受けています。実際にギターを弾くようになったのは後年です。
京本大我の幼少期を本人のインタビューや父親の証言から振り返ると、現在の華やかな活動からは想像しにくい、自然体の少年時代が浮かび上がる。
小学生時代は、紙と色鉛筆で絵を描き、夏休みの自由研究では貝殻を使った海の作品を制作。父親の京本政樹とは絵を描いて遊び、誕生日には自分でデザインしたトラ柄のギターを贈られた。
一方で、幼い頃から芸能界を目指していたわけではなく、アニメやヒーローを楽しむ普通の少年だった。10歳頃のハワイ旅行で撮影された写真をきっかけにスカウトされ、11歳で芸能活動の道へ進んだ。
そして2026年現在、SixTONESとしての活動に加え、ART-PUTを通じた音楽やアートの表現にも取り組んでいる。
幼少期の自由研究から現在の創作活動までをつなぐキーワードは、自分の想像を形にすることを楽しむ姿勢だ。
京本大我の魅力は、父親の知名度や芸能界での経歴だけでは語り尽くせない。好きなものを大切にし、自分なりの表現を追求してきた少年時代こそ、現在の多彩な活動を理解するための大切な手がかりになっている。
主な取材・確認資料
- 集英社「MAQUIA」2022年12月24日公開・京本大我本人インタビュー
- ニッポン放送 NEWS ONLINE 2022年11月8日・京本政樹の親子エピソード
- 日刊スポーツ 2019年2月8日・京本政樹への取材
- SixTONES公式プロフィール・公式ヒストリー
- 音楽ナタリー 2025年3月・写真展会見レポート
- ART-PUT公式サイト・2026年更新情報