俳優・山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市にある私立の東邦高校です。高校3年生だった2008年、母校の野球部が夏の甲子園に出場。かつて一緒に野球をしていた親友や仲間が大舞台で活躍する姿をスタンドから見届けた経験が、俳優を目指す大きな転機になりました。
高校卒業後は大学へ進学せず、東京のワタナベエンターテイメントカレッジ(WEC)に入学。6期生として演技を学び、アルバイトをしながらエキストラなどの仕事にも積極的に挑戦しました。2026年現在は映画やドラマで活躍し、日本アカデミー賞の優秀主演男優賞も受賞しています。山田裕貴さんの学歴、高校時代の知られざるエピソード、俳優として成功するまでの道のりを時系列で整理します。
【出身高校を特定】山田裕貴の高校は東邦高校!名古屋で過ごした学生時代

山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市名東区にある東邦高等学校です。
所属事務所のワタナベエンターテインメントのプロフィールでは、出身地は愛知県と紹介されています。また、東邦高校は本人の母校として、過去に学校公式サイトでも山田さんを卒業生として紹介しています。
東邦高校はどんな学校?東邦高校は1923年に創立された歴史ある私立高校です。名古屋市名東区平和が丘に位置し、普通科や美術科などを設置しています。
特に全国的な知名度を持つのが硬式野球部です。春夏の甲子園に数多く出場してきた高校野球の強豪校として知られています。
また、野球だけでなく、美術や進学教育にも力を入れており、文理特進コース、人間健康コース、普通コース、世界探究科、美術科など、複数の学びの選択肢があります。
東邦高校の偏差値はどれくらい?東邦高校の偏差値は、学科やコース、模試を提供する教育機関によって異なります。
進研ゼミの高校入試情報サイトに掲載されている2026年度のデータでは、東邦高校の進研ゼミ偏差値は50〜59です。コース別にも差があります。
- 普通科文理特進コース:55〜59
- 普通科普通コース:50〜54
- 美術科:50〜54
- 世界探究科:50〜54
これらは2026年度の合格可能性判定模試に基づく目安です。入試年度や模試によって数値が変わるため、東邦高校全体に一つの偏差値が固定されているわけではありません。
また、山田さんが在学していた時代と現在では学科・コースの構成も異なります。本人が所属していた具体的なコースや当時の入試偏差値については、公開情報からは特定できません。
父親・山田和利さんも東邦高校の卒業生山田裕貴さんの高校選びを語るうえで欠かせないのが、父親の山田和利さんです。
山田和利さんは中日ドラゴンズや広島東洋カープなどでプレーした元プロ野球選手で、引退後はコーチも務めました。
実は父親も東邦高校の出身です。山田裕貴さんは2023年のテレビ番組出演時、父親と同じ高校に進んだ理由について、父親に少しでも近づきたかったのかもしれないと振り返っています。
幼い頃からプロ野球選手として活躍する父親の姿を見て育った山田さんにとって、東邦高校は単なる進学先ではなく、父親とのつながりを感じられる場所でもあったようです。
【人生を変えた2008年】高校3年生の甲子園で親友が活躍!俳優を目指した理由
山田裕貴さんの高校時代を語るうえで、最も重要な出来事が2008年夏の甲子園です。
高校3年生だった山田さんは、母校・東邦高校の野球部が夏の甲子園に出場した際、学校の仲間たちと応援に出かけました。
しかし、そこで目にした光景は、単純に母校の勝利を喜ぶだけのものではありませんでした。
自分が辞めた野球を親友たちが続けていた山田さんは小学生の頃から中学時代まで、硬式野球のクラブチームでプレーしていました。
所属していたチームは全国大会に出場するほどの強豪でしたが、周囲には身体能力の高い選手が多く、山田さん自身はレギュラーを確保することも難しい状況でした。
父親がプロ野球選手だったこともあり、当初は自分もプロ野球選手を目指していました。しかし、仲間との実力差を感じ、中学3年生の頃に野球を辞めています。
その後、高校では野球部に入らず、バレーボール部に所属しました。
そんな山田さんが高校3年生の夏に再び野球と向き合うことになります。
甲子園のグラウンドには、かつて同じ硬式野球クラブチームでプレーしていた仲間がいました。元チームメイトが4番打者として出場し、加えて、かつて対戦した別の選手も1番・捕手・主将として試合に出ていました。
東京FMの番組「木村拓哉 Flow」に2025年9月7日に出演した際、山田さんは当時の出来事を詳しく振り返っています。
特に印象的だったのは、かつて対戦した選手が試合開始直後に初球先頭打者ホームランを放ったことです。
目の前で躍動するかつての仲間たち。一方、自分は野球のユニフォームを着ることなく、スタンドから応援している。
その対比が、山田さんの心を大きく揺さぶりました。
本人は当時の感情について、自分は野球を諦めてしまったからスタンドにいるのに、仲間たちは諦めずに続けたからグラウンドに立っているのだと感じたと語っています。
父親から言われた言葉が胸に響いた甲子園での経験と同時に、山田さんの頭に浮かんだのが父親から以前言われた言葉でした。
父親は、息子に野球を強制していたわけではありません。好きなことを自分で選んで取り組むことを大切にしていた人物です。
そのため、野球を辞めた際にも、山田さん自身が始めたことを最後まで続けなかったことについて問いかけていたといいます。
甲子園で仲間たちの姿を見たことで、当時は理解できなかった父親の言葉の意味が、時間を経て実感として伝わってきました。
この経験を通して山田さんは、次に自分がやると決めたことは最後までやり抜こうと決意します。
なぜ俳優だったのか?人の心を知りたいという思い甲子園での経験が、俳優を目指すきっかけになったことは本人が複数のインタビューで語っています。
ただし、野球を辞めた悔しさだけが俳優を選んだ理由ではありません。
山田さんは、もともと人間の心や心理に関心があり、心理学を学べる大学への進学も考えていたといいます。
さまざまな職業を考えるなかで、俳優ならば一人の人間として経験できない人生を、役を通じて何度も疑似体験できることに魅力を感じました。
他人の人生を演じることで、さまざまな人の感情や考え方を理解できるかもしれない。そう考えたことが、俳優という仕事を選んだ理由につながっています。
「俳優をやろうって思い始めたきっかけの日になったので」
出典:2026年7月1日配信・オリコンニュース掲載の本人インタビュー
2026年7月1日のオリコンニュースでも、ヱビスの新CMに関連したインタビューで、この甲子園の経験を改めて語っています。
さらに同じインタビューでは、現在も甲子園や愛知県大会をチェックしていること、母校で監督を務める高校時代の親友・山田さんがいつか甲子園に出場したら、一緒に喜びたいという夢も明かしました。
高校時代の思い出が、何年経っても本人の中で生き続けていることが伝わるエピソードです。
【意外な高校時代】山田裕貴は野球部ではなくバレーボール部だった
山田裕貴さんについて、野球の名門である東邦高校出身という情報から、本人も野球部に所属していたと思う人は少なくありません。
しかし、実際には高校時代の山田さんは野球部ではなくバレーボール部に所属していました。
中学で野球を辞め、高校ではバレーボールを選択2025年9月のTOKYO FM「木村拓哉 Flow」で、山田さんは高校時代の部活動について具体的に説明しています。
小学校から中学校まで硬式野球を続けていましたが、周囲の選手との身体能力の差を感じ、自分には難しいと思って野球を辞めました。
高校入学後、父親から帰宅部ではなく何か部活動に参加するよう勧められたこともあり、バレーボール部に入部したそうです。
入部の決め手は、競技そのものよりも、バレーボール部にいた仲間たちの人柄でした。
本人の説明によると、野球を辞めた時点でスポーツに本格的に打ち込む気持ちは一区切りついており、高校では気の合う友人たちと楽しく過ごしたいという思いがあったといいます。
父親の影響と野球へのコンプレックス山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利さんです。
幼い頃からテレビに映る父親の姿に憧れ、自分も野球選手になりたいと考えていた山田さん。しかし、強豪チームでの経験を通じて、自分と周囲との実力差を痛感することになります。
父親がプロ野球選手だったからこそ、周囲から比較されることもあり、本人は野球に対して複雑な感情を抱えていました。
その経験は、単なる挫折ではありません。後に俳優という新しい目標を見つけるための大切な過程になりました。
興味深いのは、野球を辞めた後もスポーツとの縁が完全に切れたわけではなかったことです。バレーボール部で仲間と過ごし、学校生活を送りながら、自分の進む道を考えていました。
甲子園での出来事も、野球部員としてではなく、一人の生徒としてスタンドから応援していたからこそ、自分と仲間の立場の違いを強く意識した経験だったのでしょう。
【高校卒業後の進路】ワタナベエンターテイメントカレッジ6期生として上京
高校卒業後の山田裕貴さんは、大学ではなく俳優養成機関への進学を選択しました。
進学先は、ワタナベエンターテインメントが運営するワタナベエンターテイメントカレッジ(WEC)です。
2009年4月にWEC6期生として入学ワタナベエデュケーションの公式20周年記念ページには、2009年4月にワタナベエンターテイメントカレッジ6期生として山田裕貴さんが入学したことが記録されています。
高校卒業後、地元の愛知県を離れて東京へ移り、演技を専門的に学ぶ生活が始まりました。
WECは芸能プロダクションのノウハウを活用して、俳優やタレントなどを育成する教育機関です。
山田さんは2020年に公開された同校の卒業生インタビューで、入学当初から仕事をしているような意識で授業に臨んでいたと振り返っています。
エキストラの仕事にも積極的に応募し、学ぶだけでなく、現場で経験を積むことを大切にしていました。
アルバイトをしながら演技を学んだ下積み時代山田裕貴さんの学生時代を知るうえで欠かせないのが、アルバイトをしながら俳優を目指していたことです。
2023年の映画『BLUE GIANT』完成披露イベントでは、18〜19歳頃の上京生活について振り返り、アルバイト先のネームプレートに「俳優王に俺はなる!」と書いていたエピソードを披露しました。
また、2025年10月31日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』では、下積み時代のアルバイト経験についても語っています。
紹介された仕事は次のとおりです。
- 居酒屋の店員
- 舞台セットの組み立て補助
- ドアマン
- チケットもぎり
なかでも居酒屋の仕事は、同じ作業を繰り返すことが苦手だったため大変だったと振り返っています。
華やかな俳優のイメージとは異なり、実際には生活費を稼ぎながら演技を学び、舞台や映像の現場に関わる日々を送っていました。
大学ではなく俳優の道を選んだ背景山田さんは、大学に進学して学んでいる自分の姿が想像できなかったことも、進路選択の理由として挙げています。
当初は心理学への関心があり、大学進学も選択肢にありました。しかし、自分が本当にやりたいことを考えた結果、俳優という仕事に挑戦する道を選びました。
この決断は、高校3年生の甲子園で感じた後悔ともつながっています。
一度野球を諦めた経験があったからこそ、今度は自分で決めた夢を簡単に諦めない。そんな意識が、東京での生活を支えていたと考えられます。
【学歴・経歴年表】東邦高校からD2・D-BOYS、俳優デビューまで
山田裕貴さんの学歴と芸能活動を時系列で整理すると、高校時代の挫折から養成所への進学、オーディション、俳優デビューという流れが見えてきます。
特に注目したいのは、WECへの入学から芸能界デビューまでの期間です。学校で演技を学ぶだけでなく、オーディションやエキストラの仕事を通じて、実践的な経験を積み重ねていました。
| 時期 | 学歴・出来事 | 主な内容・転機 |
|---|---|---|
| 1990年9月 | 誕生 | 愛知県名古屋市出身 |
| 小学生〜中学生 | 硬式野球 | 強豪クラブチームで野球に取り組む |
| 中学3年頃 | 野球を引退 | 実力差などから野球を辞める |
| 2008年 | 東邦高校3年生 | 母校の甲子園出場。俳優を目指す転機に |
| 2009年3月頃 | 東邦高校卒業 | 高校卒業後、東京へ進む |
| 2009年4月 | WEC入学 | ワタナベエンターテイメントカレッジ6期生 |
| 2010年 | オーディションで受賞 | D-BOYSスペシャルユニットオーディションのD-BOYS部門でグランプリ |
| 2010年 | D2に加入 | 俳優集団D2のメンバーとして活動 |
| 2011年 | 俳優デビュー | 『海賊戦隊ゴーカイジャー』ジョー・ギブケン役 |
| 2024年3月 | 結婚発表 | 女優の西野七瀬さんとの結婚を発表 |
| 2026年 | 現在の活動 | 映画『キングダム 魂の決戦』などに出演。『爆弾』で第49回日本アカデミー賞優秀主演男優賞 |
山田さんにとって大きな転機となったのが、2010年に開催された「D-BOYSスペシャルユニットオーディション」です。
このオーディションではD☆DATEの新メンバー選考が行われ、山田さんは最終的に新メンバーには選ばれませんでした。
しかし、D-BOYS部門でグランプリを獲得し、ワタナベエンターテインメントへの所属につながりました。
その後、若手俳優集団D2に加入。俳優として本格的な活動をスタートさせます。
2011年『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビュー2011年、山田裕貴さんは特撮ドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』に出演しました。
演じたのは、ゴーカイブルーことジョー・ギブケン役です。
当初は思うように演技ができず、俳優としての自信を持てない時期もありました。しかし、メイン回となる第11話・第12話の撮影を経て、少しずつ自信を持てるようになったと本人は振り返っています。
加えて、子どもから「将来ゴーカイブルーになりたい」という手紙を受け取ったことも、自分の仕事が誰かに影響を与えていると実感するきっかけになりました。
甲子園での経験を経て決めた俳優という道が、実際に誰かの心に届く仕事へと変わった瞬間でもあります。
【2026年最新】山田裕貴の現在は?代表作と俳優としての評価
2026年11月現在、山田裕貴さんは映画・ドラマ・ラジオなど幅広い分野で活動を続けています。
高校時代に俳優を目指す決意をしてから約18年。現在では主演作品も多く、日本を代表する実力派俳優の一人として活躍しています。
『東京リベンジャーズ』『ゴジラ-1.0』など代表作が多数山田さんの代表的な出演作品には、次のようなものがあります。
- 『海賊戦隊ゴーカイジャー』:ジョー・ギブケン/ゴーカイブルー役
- 『HiGH&LOW』シリーズ:村山良樹役
- 『特捜9』シリーズ:刑事役として出演
- 『なつぞら』:NHK連続テレビ小説への出演
- 『東京リベンジャーズ』シリーズ:ドラケン役
- 『ゴジラ-1.0』:主要キャストとして出演
- 『爆弾』:類家役
特に『東京リベンジャーズ』のドラケン役では、原作のキャラクターが持つ存在感を映像作品で表現し、多くの観客から注目を集めました。
また、2025年公開の映画『爆弾』では類家役を演じ、第49回日本アカデミー賞で優秀主演男優賞を受賞しています。
これは、俳優としての演技力が映画業界からも高く評価された実績です。
2026年の出演作品と今後の予定所属事務所の公式プロフィールに掲載されている2026年の主な活動は次のとおりです。
- 映画『キングダム 魂の決戦』:万極役。2026年公開。
- ドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』:主演・土方歳三役。TBSとU-NEXTの作品として配信。
- 映画『ゴジラ-0.0』:水島四郎役。2026年11月3日公開予定。
- 映画『スーパーモブニンジャ』:主演・東野昭役。2027年2月19日配信予定。
また、ラジオ番組「山田裕貴のオールナイトニッポン」も毎週月曜日25時から放送されています。
映画『爆弾』での評価を含め、作品ごとに異なる役柄へ挑戦している点も、現在の山田さんの大きな特徴です。
高校時代の挫折が現在の俳優人生につながっている山田裕貴さんのキャリアを振り返ると、東邦高校時代の経験が、その後の仕事に対する姿勢にもつながっていることが分かります。
例えば、山田さんは『ゴーカイジャー』でゴーカイブルーという役が認知された後も、同じイメージにとどまることを望最初に、次の役では前の役を裏切るつもりで挑戦したいという考えを語っています。
これは、一つの成功に満足せず、新しい自分を追求し続ける姿勢です。
高校時代に野球を辞めたことへの後悔を経験し、次に選んだ俳優という仕事を続けると決めた山田さん。その決意は、デビュー後も役柄に対して妥協しない姿勢として表れているようです。
【誤解を解消】山田裕貴の高校・学歴に関する4つのポイント
山田裕貴さんの学歴については、野球や高校時代のエピソードが印象的なため、いくつか混同されやすい情報があります。
検索時に押さえておきたいポイントを整理します。
1. 山田裕貴は東邦高校の野球部員だった?いいえ。山田さんは東邦高校の野球部員ではありません。中学時代に野球を辞め、高校ではバレーボール部に所属していました。甲子園には野球部員としてではなく、一般生徒として応援に行っています。
2. 東邦高校の偏差値は50台で確定?偏差値はコースや模試によって異なります。2026年度の進研ゼミの目安は50〜59ですが、これは現在の入試情報です。山田さんの在学時の偏差値や所属コースを示す数値ではありません。
3. 高校卒業後は大学に進学した?大学には進学せず、2009年4月にワタナベエンターテイメントカレッジへ入学しました。心理学への関心はありましたが、最終的には俳優を目指す進路を選択しています。
4. 甲子園で活躍した親友は現在も野球に関わっている?はい。2026年7月のオリコンニュースのインタビューで、山田さんは高校時代の親友が母校で監督を務めていると明かしています。いつかその親友が率いるチームが夏の甲子園に出場することを楽しみにしているそうです。
【プロの結論】山田裕貴の高校時代から学べるキャリア選択の本質
山田裕貴さんの学歴を振り返って分かるのは、必ずしも一直線の成功ルートを歩んできたわけではないということです。
小学生から中学生までは野球選手を目指し、強豪チームで実力差に悩み、最終的には野球を辞めました。高校ではバレーボール部に所属しながら、甲子園で仲間の活躍を目にして、自分の人生を改めて考えることになります。
その後、大学進学ではなく俳優養成機関への入学を選び、アルバイトをしながら演技を学びました。
ここには、キャリア選択を考えるうえで参考になる3つのポイントがあります。
- 過去の挫折を次の目標につなげる:野球を辞めた経験を、俳優という新しい目標を選ぶきっかけに変えた。
- 夢を実現するために環境を変える:地元の名古屋を離れ、東京の養成機関に進学した。
- 学ぶだけでなく実践する:授業と並行してエキストラやアルバイトなどの経験を積み、現場に触れ続けた。
特に注目したいのは、WECでの学びを単なる学校生活として捉えず、仕事をする意識で取り組んでいたことです。
芸能界は、養成所を卒業すれば必ず成功できる世界ではありません。実際、山田さん自身もオーディションに挑戦し、経験を積み重ねる必要がありました。
それでも、高校時代に感じた後悔を次の行動に結びつけ、俳優として挑戦を続けたことが現在のキャリアにつながっています。
芸能界を目指す人にとって、養成所への進学は選択肢の一つです。ただし、学校の知名度や卒業生の実績だけで判断するのではなく、実際にどのような授業があるのか、オーディションや現場経験の機会があるのか、学費や生活費をどう確保するのかまで考える必要があります。
山田裕貴さんの歩みは、夢を持つことだけでなく、選んだ道を実際の行動で積み重ねていくことの大切さを伝えています。
山田裕貴の高校・学歴に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山田裕貴の出身高校はどこですか?
A1:愛知県名古屋市名東区にある私立の東邦高校です。父親の山田和利さんも同校の卒業生です。
Q2:山田裕貴の高校時代の偏差値はいくつですか?
A2:本人が在学していた当時の具体的な偏差値は公表されていません。現在の東邦高校は、進研ゼミの2026年度データで50〜59とされています。
Q3:山田裕貴は高校時代に野球部に所属していましたか?
A3:いいえ。中学時代に野球を辞め、高校ではバレーボール部に所属していました。
Q4:山田裕貴が俳優を目指したきっかけは何ですか?
A4:高校3年生の夏、甲子園で母校の野球部やかつての仲間が活躍する姿を見たことが大きな転機です。自分が野球を辞めた後悔を感じ、次に選ぶ道は最後までやり抜こうと決意しました。
Q5:山田裕貴は高校卒業後どこの学校に進学しましたか?
A5:2009年4月、ワタナベエンターテイメントカレッジ6期生として入学しました。大学には進学せず、東京で演技を学びました。
Q6:山田裕貴は学生時代にアルバイトをしていましたか?
A6:はい。俳優を目指して上京した後、演技を学びながらアルバイトをしていました。居酒屋の店員、舞台セットの組み立て補助、ドアマン、チケットもぎりなどを経験しています。
Q7:山田裕貴の2026年現在の活動は?
A7:映画『キングダム 魂の決戦』やドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』などに出演。映画『ゴジラ-0.0』は2026年11月3日公開予定で、2025年公開の『爆弾』では第49回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しています。
山田裕貴さんの出身高校は、愛知県名古屋市にある東邦高校です。
高校3年生だった2008年、母校の野球部が夏の甲子園に出場。かつて一緒に野球をしていた仲間たちがグラウンドで活躍する姿を見て、野球を辞めた自分への後悔と、もう一度夢を追いかけたいという思いが生まれました。
その経験を経て、山田さんは俳優を目指すことを決意。2009年にはワタナベエンターテイメントカレッジ6期生として東京で演技を学び、アルバイトをしながら芸能界への道を歩み始めます。
2010年のオーディションでD-BOYS部門のグランプリを獲得し、2011年には『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビュー。その後、『東京リベンジャーズ』や『ゴジラ-1.0』など数々の話題作に出演し、2026年には『爆弾』で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。
山田裕貴さんの高校時代は、単なる学歴の一項目ではありません。野球での挫折、甲子園での再出発、そして俳優という新しい夢との出会いが詰まった人生の重要な時期です。
2026年現在も新たな作品に挑み続ける山田さん。その原点には、東邦高校で過ごした日々と、甲子園で仲間たちの姿を見た忘れられない夏があります。