内田裕也と樹木希林は、1973年10月10日に結婚したものの、結婚生活の大半を別居して過ごした異色の夫婦です。1981年には内田裕也が離婚届を無断で提出し、樹木希林が離婚無効を求めて訴訟を起こすという出来事もありました。それでも二人は離婚せず、約45年間にわたって法律上の夫婦であり続けました。
2018年9月に樹木希林が75歳で亡くなり、その約半年後の2019年3月には内田裕也も79歳で他界しています。娘の内田也哉子が語った両親の関係、母が離婚を選ばなかった理由、最後まで続いた二人のつながりを振り返ると、単純な夫婦愛という言葉では説明できない関係が浮かび上がります。
【人物関係】内田裕也と樹木希林とは?結婚前の経歴と二人の出会い

内田裕也と樹木希林は、それぞれ異なる世界で活躍してきた著名人です。ロックミュージシャンとして独自の存在感を放った内田と、映画・テレビで幅広い役柄を演じた樹木。性格も仕事への姿勢も大きく異なる二人でした。
内田裕也は日本のロック文化を象徴する存在内田裕也はロック歌手、俳優、音楽プロデューサーとして活動しました。既存の価値観に迎合しない反骨精神と強烈な個性で知られ、日本のロック文化に独自の足跡を残した人物です。
音楽活動だけでなく映画にも出演し、芸能界でも異彩を放ちました。家庭生活においても一般的な夫婦像に収まらない行動が多く、樹木との長期別居は二人を語るうえで欠かせない特徴となっています。
樹木希林は悠木千帆から日本を代表する女優へ樹木希林は1943年1月15日生まれ。1961年に悠木千帆の芸名で女優活動を始めました。
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などのテレビドラマで人気を獲得し、独特の存在感と自然な演技で幅広い世代に親しまれました。1977年には芸名を樹木希林に変更しています。
映画では『歩いても 歩いても』『悪人』『万引き家族』などに出演。2013年には日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。晩年まで俳優として活動を続け、2018年9月15日に75歳で亡くなっています。
二人の関係をつないだ内田也哉子二人の間には、1976年2月11日に長女の内田也哉子が誕生しました。文章家、エッセイスト、翻訳家などとして活動する也哉子は、両親の関係を最も近くで見てきた人物です。
1995年には俳優の本木雅弘と結婚。二人の間には長男UTA、長女伽羅、次男玄兎の3人の子どもがいます。
内田家は、ロックミュージシャン、女優、俳優、文章家、モデルなど、異なる分野で活動する人物が集まる家族としても知られています。
【馴れ初め】1973年に結婚!内田裕也と樹木希林はどこで出会った?
二人の出会いは、1970年代のテレビドラマの撮影現場でした。きっかけとなったのは、TBSの人気ドラマ『時間ですよ』です。
かまやつひろしがきっかけで知り合った二人週刊女性PRIMEが過去のインタビューを再構成した記事によると、内田裕也は友人のかまやつひろしに連れられて『時間ですよ』の撮影現場を訪れ、そこで樹木希林と初めて顔を合わせました。
当時、樹木は悠木千帆として活動していました。内田は彼女の出演するテレビドラマやCMを見て、面白い女優だと感じていたといいます。
初対面では仕事の世界が違うこともあり、特別な進展はありませんでした。しかし、六本木の寿司店で食事をした際、二人の距離が一気に縮まったとされています。
「俺を好きか」という問いから結婚へ内田が後年のインタビューで語ったエピソードでは、食事中に彼が樹木へ「俺を好きか」と尋ね、樹木が「好きだ」と答えたことから、結婚の話になったといいます。
一方、別のインタビューでは、樹木のほうから結婚を持ちかけたという趣旨の発言も残されています。プロポーズの主導権については、二人の回想に違いがありました。
この食い違いも、二人らしいエピソードです。どちらが先に結婚を提案したのかという細部よりも、出会いから結婚までの展開が非常に早かったことが特徴的でした。
1973年10月10日に築地本願寺で挙式二人が結婚式を挙げたのは1973年10月10日。場所は東京都中央区の築地本願寺でした。当時、樹木は悠木千帆として知られていました。
結婚当初から二人は一般的な夫婦とは異なる価値観を持っていました。内田はロックミュージシャンとして自由な生き方を重視し、樹木もまた自分の仕事と人生を大切にする女優でした。
この異なる個性が互いを引きつけた一方で、共同生活を続ける難しさにもつながっていったと考えられます。
【45年間の別居と1981年の訴訟】離婚届をめぐる騒動の全貌
二人の結婚生活を語るうえで欠かせないのが、長期間にわたる別居です。結婚後まもなく生活拠点が分かれ、その後も同居に戻ることなく、法律上の夫婦関係が続きました。
なぜ45年近くも別居していたのか樹木希林は生前、内田裕也との同居期間について、著書『この世を生き切る醍醐味』などで振り返っています。女性自身の報道でも、実際に一緒に暮らした期間は非常に短かったことが紹介されています。
内田自身も、ロックを続ける自分と役者である妻では仕事の仕組みが違うと説明していました。家庭に戻れば何もせずに過ごしたいという趣旨の発言も残しています。
また、二人の間では激しい口論があったことも、娘の也哉子が証言しています。2019年に放送された『サワコの朝』に関連するインタビューでは、両親の口論について、包丁が何度も欠けるほど激しかったと振り返りました。
こうした生活環境の中で、希林は娘を育てながら女優として仕事を続けました。
1981年、内田裕也が離婚届を無断で提出1981年、夫婦関係を大きく揺るがす出来事が起きます。内田裕也が樹木希林の同意を得ないまま離婚届を提出したのです。
樹木は離婚を認めず、離婚無効を求めて訴訟を起こしました。裁判の結果、樹木側の主張が認められ、離婚は無効となりました。
この出来事は、単なる夫婦げんかではありません。法律上の婚姻関係を一方的に終わらせようとした内田に対し、樹木が法的手段で婚姻関係を守ったという、二人の関係を象徴する事件でした。
離婚騒動の後も夫婦関係は継続離婚届をめぐる問題が解決した後も、二人は同居生活には戻りませんでした。別々の場所で生活しながら、夫婦という関係を続けていきます。
2013年には樹木がテレビや報道陣の取材に応じ、内田から「別れなくてよかった」と言われたことを明かしました。
また、墓参りの時期などに樹木がファクスで内田を呼び出し、数か月に一度会うこともあったと報じられています。
一般的な夫婦のように毎日顔を合わせることはなくても、二人には二人なりの距離感が存在していたのです。
【時系列年表】結婚・別居・離婚訴訟から2019年の死去まで
内田裕也と樹木希林の関係は、1973年の結婚から2019年の死去まで、約46年間にわたって続きました。重要な出来事を年代順に整理します。
| 年月 | 出来事 | 関係・背景 |
|---|---|---|
| 1973年10月10日 | 結婚・挙式 | 築地本願寺で挙式 |
| 1970年代 | 別居生活へ | 新婚生活の早い段階から別々の生活に移行 |
| 1976年2月11日 | 内田也哉子が誕生 | 樹木が中心となって娘を育てる |
| 1981年 | 離婚届をめぐる訴訟 | 樹木が離婚無効を求めて訴え、勝訴 |
| 2008年7月 | 京都旅行 | 結婚35年目の夫婦の姿が報じられる |
| 2013年 | 夫婦関係について発言 | 内田から別れなくてよかったと言われたことを紹介 |
| 2016年 | テレビで夫婦共演 | 黒柳徹子の番組で二人の掛け合いが実現 |
| 2018年9月15日 | 樹木希林が死去 | 75歳。東京都内の自宅で亡くなる |
| 2019年3月17日 | 内田裕也が死去 | 79歳。肺炎のため亡くなる |
| 2025年4月 | 内田家の家族がテレビ出演 | 也哉子と孫のUTAらが家族の思い出を紹介 |
| 2026年 | 家族の証言や写真が紹介される | 二人の関係が次世代にも語り継がれる |
この年表から分かるのは、別居が一時的なものではなく、二人の人生の大部分にわたって続いたということです。1981年の訴訟を経ても婚姻関係を解消しなかった点は、特に注目されます。
【夫婦関係の真相】樹木希林が離婚しなかった理由とは?娘・也哉子の証言
二人の関係で最も多くの人が疑問に感じるのが、なぜ樹木希林は離婚しなかったのかという点でしょう。
別居が長く続き、離婚届をめぐる訴訟まで経験していたにもかかわらず、樹木は婚姻関係を維持しました。その背景については、本人の発言と娘の証言が重要な手がかりになります。
理由1:樹木希林にとって内田裕也は人生に必要な存在だった女性自身が2024年に紹介した内田也哉子の証言によると、也哉子は思春期に母へ、なぜ父と別れないのか、なぜ父を尊敬するのかと問いただしたことがありました。
それに対して樹木は、父について次のように説明したといいます。
「どんなに破天荒でもひとかけら純なものがあるから」
この言葉は、樹木が内田の欠点を知らなかったという意味ではありません。相手の問題点を理解したうえで、それでも人間として評価できる部分があると考えていたことを示しています。
同じ記事では、樹木が娘に対して「私の人生には必要な存在なんだ」という趣旨の説明をしたことも紹介されています。
理由2:最初の結婚を経験して得た人生観樹木希林には、内田裕也と結婚する前に俳優の岸田森と結婚していた時期があります。二人は1964年に結婚し、1968年に離婚しました。
内田也哉子の証言によると、母は最初の結婚が終わった際、両親、とりわけ父親の悲しむ姿を見て、次に再婚するなら、どのような試練があっても添い遂げようと考えたそうです。
つまり、樹木にとって内田との結婚は、単に好きな相手と生活するというだけの選択ではなかった可能性があります。自分が決めた人生の選択に責任を持つという、本人なりの覚悟があったと考えられます。
理由3:離れていても互いを気にかける関係だった樹木は2013年の取材で、内田から「別れなくてよかった」と言われたエピソードを紹介しています。
また、内田が亡くなった妻について語った言葉も残っています。
「啓子、今までありがとう。人を助け、人のために祈り、人に尽くしてきたので天国に召されると思う。お疲れ様。安らかに眠って下さい。見事な女性でした」
これは樹木が亡くなった2018年9月、内田が報道陣に向けて発表した追悼コメントです。
約45年間も別居していた相手に対して、最後にこのような言葉を残したことは、二人の間に長年のつながりがあったことを物語っています。
ただし、娘にとって両親の関係は決して単純ではなかった一方、内田也哉子は、両親の関係を美しい夫婦愛だけで語ってはいません。
2024年の週刊文春WOMANの対談では、幼いころから父と一緒に暮らしたことがなく、父が家に現れると暴れることもあったと振り返っています。母が父を敬う姿に疑問を感じ、思春期には両親の関係について葛藤していたことも明かしました。
2023年にテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際には、両親の関係について「今でもミステリーのまま」と表現しています。
一番離れている二人なのに、一番互いを気にしている。そのような関係だったのではないかと、也哉子は振り返りました。
ここに、この夫婦の実像があります。夫婦としてのつながりがあった一方、家族としての生活には困難もありました。娘の視点を含めて考えることで、二人の関係を一面的に美化せずに理解できます。
【2018年・2019年】樹木希林と内田裕也の最期、最後まで続いた夫婦愛
長年にわたって別居していた二人は、2018年と2019年に相次いで亡くなりました。樹木が亡くなった後、内田が発表した言葉や、娘が明かした最期のエピソードは、多くの人の記憶に残っています。
2018年9月15日、樹木希林が75歳で死去樹木希林は2018年9月15日、東京都内の自宅で亡くなりました。75歳でした。
樹木は2013年に全身がんであることを公表しており、闘病しながらも俳優活動を続けていました。亡くなる直前には大腿骨を骨折して入院するなど、体調が悪化していたことも報じられています。
葬儀・告別式は同年9月30日に光林寺で営まれました。喪主は夫の内田裕也が務め、娘の也哉子が最後のあいさつを担当しました。
也哉子は、離れて暮らしていた両親の関係が自分にとっても不思議だったこと、母に父と別れない理由を尋ねたことなどを語りました。
樹木の死後、内田裕也が発表した追悼コメント樹木が亡くなって5日後の9月20日、内田は報道陣に向けて追悼コメントを発表しました。
「啓子、今までありがとう」「見事な女性でした」という言葉には、長年の別居生活を経ても妻への敬意を失っていなかったことが表れています。
二人は一般的な夫婦のように日々を共に過ごしていたわけではありません。それでも、樹木の死を受けて内田が公に感謝を伝えたことは、夫婦関係を考えるうえで重要な出来事です。
2019年3月17日、内田裕也も79歳で死去樹木の死から約半年後の2019年3月17日、内田裕也も東京都内で亡くなりました。79歳でした。死因は肺炎と報じられています。
二人の死去が半年ほどの間に続いたことで、長年の別居生活を知る人々にも大きな衝撃を与えました。
内田也哉子は後年、『徹子の部屋』で、母から父について「大丈夫よ、私が絶対に連れて行くから」と言われたエピソードを紹介しています。
母の死後、父も亡くなったことについて、也哉子は複雑な思いを振り返りました。両親の関係を完全に理解することはできなくても、最後まで互いに特別な存在だったという感覚が残っているようです。
【2026年現在】本木雅弘・内田也哉子と内田家の家族写真、受け継がれる絆
2026年現在、内田裕也と樹木希林はともに故人です。しかし、二人が築いた家族のつながりは、娘の内田也哉子やその家族を通じて今も伝えられています。
本木雅弘と内田也哉子が築いた家庭也哉子は1995年に俳優の本木雅弘と結婚しました。本木は映画『おくりびと』などで知られる俳優で、国内外で活躍しています。
二人の間には3人の子どもがいます。
- 長男:UTA。モデル・俳優として活動。
- 長女:伽羅。
- 次男:玄兎。
内田裕也と樹木希林にとって、3人は孫にあたります。
内田家の特徴は、祖父母と孫の関係も一般的な家族像とは少し違っていたことです。2025年4月にテレビ朝日系『プラチナファミリー』で紹介された際、UTAは祖父を「おじいちゃん」ではなく「裕也」と呼んでいたと明かしました。
也哉子も、祖父と孫という一般的な関係とは違う交流を「異物交流」と表現しています。
2016年に撮影された貴重な内田家の家族写真内田家の家族写真として注目されているのが、2016年に撮影された集合写真です。
2025年の婦人公論.jpの記事では、内田家提供の写真として紹介されました。写真には樹木希林、内田裕也、内田也哉子、本木雅弘、UTA、伽羅、玄兎の7人が写っています。
長年別居していた夫婦が、娘夫婦や孫たちと同じ写真に収まっていることは、内田家の独特な家族関係を象徴しています。
2025年のテレビ朝日の番組でも、也哉子とUTAが家族の思い出を紹介し、二人の祖父母について語りました。さらに2026年6月のテレビ出演でもUTAが家族写真を紹介し、内田家ならではの祖父との関係や呼び方を明かしています。
二人の夫婦関係は次世代にどう受け継がれているのか也哉子は、両親の関係に戸惑いながら育ちました。一緒に暮らしたことのない父、母が一人で家庭を支える生活、そして母が父を尊敬し続ける姿は、子どもにとって理解しにくいものだったといいます。
しかし、母との対話を通じて、異なる価値観を持つ人間同士が関係を続けることについて考えるようになりました。
本木雅弘との家庭では、両親とは異なる穏やかなコミュニケーションを大切にしてきたことも、也哉子自身が語っています。
内田家の現在を考える際に大切なのは、祖父母の夫婦関係をそのまま理想の家族像として受け継ぐことではありません。それぞれの個性や違いを理解しながら、次の世代が自分たちの家庭を築いている点にあります。
【よくある誤解】内田裕也と樹木希林の夫婦関係を正しく理解するポイント
二人の関係は非常に個性的だったため、長年にわたってさまざまな解釈が生まれてきました。特に誤解されやすいポイントを整理します。
別居していたから夫婦仲が完全に悪かったわけではない二人の間には激しい口論や離婚騒動がありました。しかし、樹木が内田を評価する発言を残し、内田も妻への感謝を公に伝えていたことから、関係を単純に不仲と決めつけることはできません。
ただし、娘の也哉子が幼少期に抱えた葛藤も事実です。夫婦のつながりと、子どもが家庭で経験したことは、分けて考える必要があります。
45年間ずっと会わなかったわけではない別居とは、必ずしも一切の交流がなかったことを意味しません。二人は時折会っており、京都旅行やテレビ番組での共演もありました。
特に2008年には京都旅行の様子が報じられ、2016年にはテレビ番組で夫婦共演が実現しています。
離婚届の提出後に離婚が成立したわけではない1981年の離婚届提出をめぐる問題では、樹木が離婚無効を求めて訴訟を起こし、勝訴しています。そのため、二人はその後も法律上の夫婦であり続けました。
別居と離婚は同じ意味ではありません。二人のケースでは、生活上は別々でありながら、婚姻関係は維持されていたことが重要です。
【内田裕也と樹木希林】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:内田裕也と樹木希林はいつ結婚しましたか?
A1:1973年10月10日です。東京の築地本願寺で挙式しました。
Q2:内田裕也と樹木希林はなぜ45年間も別居していたのですか?
A2:二人の仕事や生活スタイル、価値観の違いに加え、激しい口論などが背景にありました。内田はロック活動を優先する生活を送り、樹木は女優として仕事を続けながら娘を育てました。
Q3:1981年の離婚訴訟はどうなりましたか?
A3:内田裕也が樹木希林の同意を得ずに離婚届を提出しましたが、樹木が離婚無効を求めて訴訟を起こし、勝訴しました。二人の婚姻関係は継続しました。
Q4:樹木希林が離婚しなかった理由は何ですか?
A4:樹木は内田を自分の人生に必要な存在と考えていたことが、娘の也哉子の証言から分かっています。また、内田の破天荒な部分だけでなく、純粋な部分を評価していたことも理由の一つと考えられます。
Q5:内田裕也と樹木希林の子どもは誰ですか?
A5:長女の内田也哉子です。也哉子は1995年に俳優の本木雅弘と結婚し、3人の子どもを育てています。
Q6:樹木希林と内田裕也は何歳で亡くなりましたか?
A6:樹木希林は2018年9月15日に75歳で亡くなりました。内田裕也は2019年3月17日に79歳で亡くなっています。
Q7:2026年現在、内田家の家族はどうなっていますか?
A7:内田裕也と樹木希林はともに故人です。娘の内田也哉子は本木雅弘と家庭を築き、3人の子どもたちも成長しています。2025年や2026年のテレビ番組でも、家族写真や祖父母との思い出が紹介されています。
内田裕也と樹木希林は、1973年に結婚し、長い別居生活を送りながらも、約45年間にわたって夫婦であり続けました。1981年には離婚届をめぐる訴訟が起こりましたが、樹木が離婚無効を勝ち取り、婚姻関係は維持されました。
離婚しなかった理由には、樹木自身の人生観、内田に対する評価、最初の結婚を経験したことで生まれた覚悟など、複数の要素があったと考えられます。
一方で、娘の也哉子にとっては、両親の関係は簡単に理解できるものではありませんでした。彼女が語った「今でもミステリーのまま」という言葉は、この夫婦の関係を端的に表しています。
【プロの結論】 二人の関係から読み取れるのは、夫婦であることと、同じ場所で生活することは必ずしも一致しないという事実です。ただし、長期別居をそのまま理想の夫婦愛として評価することも適切ではありません。夫婦本人の選択と、子どもが経験した家庭環境は、それぞれ別の視点から考える必要があります。
2018年と2019年に二人が相次いで亡くなった後も、也哉子や孫たちの証言、家族写真、過去のインタビューを通じて、その関係は語り継がれています。最後まで理解しきれない部分を残した二人の人生こそ、内田裕也と樹木希林という夫婦が多くの人の記憶に残り続ける理由なの可能性があります。
主な事実確認資料: 週刊女性PRIME、女性自身、週刊文春WOMAN、デイリースポーツ、シネマトゥデイ、テレビ朝日、婦人公論.jp、オリコンニュース。