太陽とシスコムーンのメンバーは、信田美帆・稲葉貴子・小湊美和・本多RuRuの4人です。1999年にテレビ東京系『ASAYAN』のオーディション企画から誕生し、つんくプロデュースのもと「月と太陽」「ガタメキラ」「Magic of Love」などの楽曲を発表しました。
2000年にはT&Cボンバーへ改名し、同年10月9日のコンサートをもって解散。しかし、メンバーの縁は途切れず、2024年の結成25周年を機に信田・稲葉・小湊の3人で本格的に活動を再開しました。さらに2026年4月22日には、3人体制での正式な活動再開を改めて発表。公式サイトとファンクラブも開設されています。
【2026年最新】太陽とシスコムーンメンバー4人の現在は?

2026年10月現在、太陽とシスコムーンは信田美帆・稲葉貴子・小湊美和の3人を中心に活動しています。
4人組としてデビューした当時とは異なる体制ですが、3人はフリーランスという形でライブやイベントに出演。往年の楽曲を現在のフォーメーションに合わせてアレンジしながら、グループの活動を続けています。
信田美帆の現在|元オリンピック体操選手から歌手・体操指導者へ信田美帆(しのだみほ)は、太陽とシスコムーン加入前から体操選手として活躍していた人物です。
1988年のソウルオリンピックには日本代表として出場。日本体育大学でも競技を続け、1995年に現役を引退しました。その後、タレント活動を経て1999年に太陽とシスコムーンのメンバーとしてデビューしています。
グループ解散後は、体操インストラクターやタレントとして活動。競技の振り付け、体操教室、講演などにも携わり、スポーツの普及に取り組んできました。FYTTEの専門家紹介でも体操指導者兼タレントとして掲載されています。
2026年現在は、体操に関する活動と並行して、太陽とシスコムーンのライブにも出演。かつて培った身体能力は、現在のステージパフォーマンスにも生かされています。
2026年のつんくとの座談会では、本人がグループ活動を自身の青春と振り返っています。体操選手として歩んできた人生とは別に、自分自身で選び取った芸能活動への思いが、現在の活動を支える大きな要素になっています。
稲葉貴子の現在|大阪パフォーマンスドールからイベント運営まで経験稲葉貴子(いなばあつこ)は、太陽とシスコムーン加入前から大阪パフォーマンスドール(OPD)のメンバーとして活動していました。
歌唱力とダンスを評価され、1999年に太陽とシスコムーンへ加入。つんくも2026年の座談会で、稲葉について、歌声とダンスの実力がグループの軸になっていたと振り返っています。
解散後はハロー!プロジェクトに残り、ソロ活動や振り付けなどを経験。その後はイベント制作スタッフとして裏方の仕事にも携わりました。
2015年の週刊女性PRIMEでは、ハロー!プロジェクトのファンクラブスタッフとして受付やイベント運営を担当していたことが紹介されています。
現在は歌手としての活動も続けており、元大阪パフォーマンスドールの古谷文乃と結成した音楽ユニット「(s)pirit color(ピリカラ)」でも活動しています。
2026年のインタビューによると、太陽とシスコムーンでは運営実務や経理を担当。会社員経験やイベント運営の経験が、現在のグループ活動にも役立っているそうです。
表舞台に立つ歌手としてだけでなく、イベントを成立させる運営側の視点も持つことが、現在の稲葉の特徴です。
小湊美和の現在|民謡歌手としての実績を生かして活動小湊美和(こみなとみわ)は、福島県須賀川市出身。民謡小湊流家元の長女として生まれ、3歳で初舞台を経験しました。
幼少期から民謡に親しみ、数々の大会で優勝。1998年に『ASAYAN』の太陽とシスコムーンオーディションへ参加し、43日間の合宿を経て合格しました。
グループ解散後も歌手活動を継続。2001年からNHK『どんとこい民謡』で司会や歌のコーナーを担当し、2002年には「愛のチカラ」でソロデビューしています。
その後も和ポップスやアレンジ民謡を中心に活動し、コーラス、ナレーション、舞台出演など幅広い分野に参加。2015年には出身地の須賀川市観光牡丹大使に任命され、2018年には代々木アニメーション学院の「つんくプロフェッショナルイズム」講師に就任しました。
2026年現在も個人の音楽活動を続けながら、太陽とシスコムーンの活動では企画や全体の進行を担当しています。
小湊の公式サイトでは2026年10月にもイベント情報が更新されており、ソロアーティストとしても精力的に活動していることが分かります。
本多RuRuの現在|海外在住で国内の3人体制には参加せず本多RuRu(ほんだるる)は、中国出身の歌手です。太陽とシスコムーンでは、独特の存在感と力強い歌声でグループの個性を形づくりました。
グループ解散後は中国を中心とした中華圏で活動し、2007年には「本多ルル」名義で日本でも再デビュー。カバーアルバム『初心』をリリースしました。
2009年の10周年イベントでは上海から電話で参加。2015年には一時帰国し、約15年ぶりに4人全員がそろうトークライブに出演しました。
その後は日本での芸能活動が少なくなり、2025年のENCOUNTによる25周年ライブの報道では、海外在住のため不参加と紹介されています。Smart FLASHも2025年12月の記事で、アメリカに移住していると伝えています。
2026年現在も、国内で活動する3人とは異なる生活拠点にいるとみられます。ただし、現在の具体的な職業や日常生活については公表情報が限られています。
大切なのは、RuRuが現在の国内ライブに参加していないことと、4人のメンバーとしての歴史的な位置づけは別の話だという点です。3人体制になったからといって、オリジナルメンバーが4人だった事実が変わるわけではありません。
【結成から解散まで】太陽とシスコムーンの歴史と年表
太陽とシスコムーンは1999年にデビューし、約1年半という短い期間で大きな足跡を残しました。
誕生のきっかけとなったのは、テレビ東京系の人気番組『ASAYAN』です。番組内で実施された「つんくプロデュース芸能人新ユニットオーディション」に合格した4人が、つんくのプロデュースで活動を開始しました。
当時の4人は、体操選手、アイドルグループ出身者、民謡歌手、中国出身の歌手という異なるバックグラウンドを持っていました。この異色の組み合わせが、ほかのアイドルグループにはない個性につながりました。
グループの主な歴史を整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1998年12月 | オーディション | 『ASAYAN』の企画で4人が選出 |
| 1999年4月21日 | デビュー | 「月と太陽」を発売 |
| 1999年 | 新人賞受賞 | 第41回日本レコード大賞新人賞 |
| 2000年3月 | 改名発表 | T&Cボンバーへの名称変更 |
| 2000年4月 | 新名義で活動 | 「DON'T STOP 恋愛中」を発売 |
| 2000年10月9日 | グループ解散 | 大阪公演を最後に活動終了 |
| 2009年 | 10周年の再集結 | 信田・稲葉・小湊の3人でライブ活動 |
| 2015年 | 4人で再集結 | RuRuを含むトークライブを開催 |
| 2019年 | 20周年ライブ | 初のバンドスタイルによる単独公演 |
| 2024年 | 25周年の本格再始動 | 3人で全国4都市ツアーなどを開催 |
| 2026年4月 | 正式な3人体制を発表 | 公式サイトとファンクラブを開設 |
| 2026年10月 | LIVE 2026 ~Evolve~ | 新宿ReNYで昼夜2公演を予定 |
小湊美和の公式プロフィールによると、グループ活動中にはシングル8枚、アルバム2枚、ビデオ・DVD作品2本を発売しています。
活動期間は短かったものの、音楽作品の数やライブ活動の密度を考えると、非常に濃い時間を過ごしたグループだったことが分かります。
【改名と解散の真相】T&Cボンバーになった理由は?
太陽とシスコムーンからT&Cボンバーへの改名経緯2000年、グループは「太陽とシスコムーン」から「T&Cボンバー」へ名称を変更しました。
改名は2000年3月に発表され、同年4月発売のシングル「DON'T STOP 恋愛中」から新しいグループ名が使われています。
CDJournalのアーティスト紹介では、さらなる飛躍を目指すためのつんくのアイデアによる改名と説明されています。
興味深いのは、改名を経験したメンバー自身も、その理由を明確には把握していなかったことです。
2009年のBARKSによる10周年イベントの報道では、改名の理由についてメンバー3人がそろって「わからない」と話したことが紹介されています。当時は『ASAYAN』の番組進行に合わせて、メンバーにも詳細が知らされないことがあったようです。
したがって、T&Cボンバーへの改名は、グループの方向性を変えるプロデュース上の判断として捉えるのが自然です。
2000年10月の解散理由|RuRuの離脱が大きな転機に太陽とシスコムーンの解散について、2026年1月に公開されたつんくとの座談会で、当時のメンバーが重要な背景を明かしています。
小湊美和によると、RuRuがグループを離れることになった際、残る3人で活動を続けるという考えが当時はありませんでした。
稲葉貴子も、続けたいという意思を伝えなかったというより、伝えられなかったと振り返っています。
信田美帆も、夢がかなったのに大好きな活動がこんなに短く終わるのかと感じたことを語っています。
この座談会で明らかになったのは、単純に人気がなくなったから解散した、という説明では捉えきれない経緯です。
当時のメンバーは、グループの方針を自分たちで変えたり、3人で活動を継続したいと主張したりすることが難しい環境にいました。RuRuの離脱をきっかけに、4人での活動を終える流れになったことが、2026年の本人たちの証言から分かります。
また、解散決定後には2枚目のアルバムの発売とラストツアーが進められました。メンバーにとっても、十分に時間をかけて次の活動へ移るというより、急な展開だったようです。
2026年の座談会でつんく自身も、なぜ当時そこまで早く解散したのかについて、メンバーに問いかけています。
つまり、解散理由をメンバー同士の不仲や人気低迷だけで説明する根拠はありません。RuRuの離脱と、当時のプロデュース体制のなかで3人が継続を申し出られなかったことが、重要な背景となっています。
【再結成の経緯】2009年から2026年まで3人体制で続く理由
2009年|小湊美和の呼びかけで10周年に再集結解散から9年が経過した2009年、再集結のきっかけを作ったのは小湊美和でした。
小湊は、大阪パフォーマンスドールの15周年イベントで稲葉貴子が活動している姿を見て、太陽とシスコムーンも再びライブができるのではないかと考えたそうです。
そこで信田と稲葉に声をかけ、10周年記念ライブの実現に向けて動き始めました。
当時の事務所に楽曲使用を相談し、サポートを受けながら再結成ライブを実現。3人での再集結が、その後の周年活動につながりました。
2015年|約15年ぶりに4人全員がそろう2015年には15周年を記念したトークライブが開催され、本多RuRuも参加しました。
RuRuは上海を拠点としていたため、4人が同じ場所に集まる機会は限られていました。このイベントは、解散以来約15年ぶりにオリジナルメンバー全員がそろう貴重な機会となりました。
2019年|20周年を記念して初のバンドライブ2019年にはデビュー20周年を記念した単独ライブ「Last & New Decade 2」をCOTTON CLUBで開催。
この公演では、初めて本格的なバンドスタイルを採用しました。稲葉・小湊・信田の3人がボーカルを担当し、バンド演奏を取り入れたステージを披露しています。
2024年|25周年を機に3人で本格的な活動再開2024年5月、結成25周年を機に3人で本格的な活動を再開しました。
大阪・名古屋・東京・横浜の全国4都市ツアーを展開し、2025年3月には新宿ReNYで25周年記念ライブのフィナーレを迎えました。
本多RuRuは海外在住のため、この25周年ライブには参加していません。
この時期の活動で特徴的なのは、3人が自分たちの手でライブを作り上げていることです。会場の手配やSNSでの告知、スタッフの確保、運営などにも自ら関わってきました。
2026年|正式に3人体制での活動再開を宣言2026年4月1日には、太陽とシスコムーンの公式Webサイトとオンラインファンクラブが開設されました。
さらに4月22日には、公式Instagramで3人体制による正式な活動再開を発表。2000年の解散を経て、信田・稲葉・小湊の3人で新たな活動を続ける意思を明確にしました。
「私たちは2000年の解散を経て、正式に3人で活動再開しました!」
2026年の活動では、2月にフィロソフィーのダンスとのツーマンライブに出演。9月には「申し訳ないと30th ANNIVERSARY & LAST PARTY」にも出演するなど、現役アイドルや異なる世代のアーティストとの共演も続いています。
加えて、2026年10月24日には東京・新宿ReNYで「太陽とシスコムーン LIVE 2026 ~Evolve~」を開催するスケジュールが組まれ、昼公演はSpecial Session Ver.、夜公演はSpecial Cover Ver.という2つの異なる企画が用意されました。
小湊の公式サイトには、2026年12月26日に東京パフォーマンスドール関連公演へのゲスト出演も掲載されています。
2026年の活動状況を見ると、25周年だけの期間限定企画に終わらず、グループとして継続的にステージへ立つ方向に進んでいることが分かります。
【代表曲と魅力】月と太陽・ガタメキラが今も愛される理由
太陽とシスコムーンを語るうえで欠かせないのが、つんくが手がけた独特の楽曲です。
当時のアイドルグループとしては、大人っぽい歌詞や複雑なメロディー、力強いボーカルを前面に出した作品が多く、4人それぞれの個性を生かした音楽性が特徴でした。
月と太陽|グループの出発点となったデビュー曲1999年4月21日に発売されたデビューシングルです。
『ASAYAN』のオーディション企画から生まれたグループの最初の作品であり、太陽とシスコムーンという名前を広く知らしめるきっかけになりました。
当時の報道では、オリコン初登場4位を記録したことも紹介されています。グループの活動継続をかけた厳しい条件をクリアした、象徴的な一曲です。
ガタメキラ|つんくの音楽的な挑戦が詰まった代表曲「ガタメキラ」は、太陽とシスコムーンを代表する楽曲の一つです。
独特なタイトルと大人びた歌詞、印象的なリズムが特徴で、現在のライブでも定番曲として歌われています。
2026年のつんくとの座談会では、タイトルの由来や歌詞の意味についても話題になりました。つんくは、一般的な英語表現に頼るのではなく、音に乗せたときの印象を考えて「ガタメキラ」という言葉を生み出した経緯を説明しています。
また、楽曲には男女の親密な関係を描いた大人っぽい世界観が込められていたことも明かされました。
Magic of Love・宇宙でLa Ta Ta|世代を超えて歌い継がれる作品「Magic of Love」は、現在のライブでも重要な楽曲です。Juice=Juiceによるカバーを通して、若い世代にも知られるようになりました。
「宇宙でLa Ta Ta」もグループの代表曲で、メンバー自身が現在のライブで必ず歌う曲として挙げています。
こうした楽曲が後輩グループにカバーされていることは、太陽とシスコムーンの音楽が当時のファンだけにとどまらず、ハロー!プロジェクトの音楽史のなかで受け継がれていることを示しています。
2026年の座談会では、メンバーが約20曲の持ち歌を現在も大切に歌い続けていることが語られました。活動期間が短かったからこそ、一曲一曲に凝縮された個性が今も色あせていないのです。
【太陽とシスコムーンメンバーの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:太陽とシスコムーンのメンバーは現在何人ですか?
A1:オリジナルメンバーは信田美帆・稲葉貴子・小湊美和・本多RuRuの4人です。2026年現在、国内でのグループ活動は信田・稲葉・小湊の3人体制が中心です。
Q2:本多RuRuは現在何をしていますか?
A2:本多RuRuは海外在住と報じられています。2025年の25周年ライブにも海外在住を理由に参加していません。現在の詳しい職業や生活状況については、公表情報が限られています。
Q3:太陽とシスコムーンが解散した理由は何ですか?
A3:2026年のつんくとの座談会では、RuRuの離脱が大きな転機だったことがメンバーから語られました。残る3人で活動を続けるという発想が当時はなく、解散へと進んだ経緯があります。
Q4:T&Cボンバーと太陽とシスコムーンは同じグループですか?
A4:同じグループです。2000年に「太陽とシスコムーン」から「T&Cボンバー」へ改名しました。メンバーは同じ4人で、改名後の活動も同一グループの歴史に含まれます。
Q5:太陽とシスコムーンはいつ再結成しましたか?
A5:最初の再集結は2009年のデビュー10周年です。2015年には4人でトークライブを開催し、2024年の25周年を機に3人で本格的な活動を再開しました。2026年4月には正式な3人体制での活動再開を発表しています。
太陽とシスコムーンは、1999年に『ASAYAN』から誕生した4人組女性ボーカルグループです。信田美帆、稲葉貴子、小湊美和、本多RuRuという異なる経歴のメンバーが集まり、つんくプロデュースのもとで「月と太陽」「ガタメキラ」などの楽曲を生み出しました。
2000年10月に解散した後も、メンバーの交流は続き、2009年、2015年、2019年と節目ごとに再集結。2024年の25周年を機に本格的な活動再開を果たし、2026年には3人体制での正式な活動再開を宣言しました。
現在の活動を支えているのは、単なる懐かしさだけではありません。体操指導、民謡、イベント運営など、それぞれの分野で経験を重ねた3人が、再び自分たちの意思で音楽活動に取り組んでいることが大きな特徴です。
また、本多RuRuが海外在住であることと、3人で活動していることを混同しないことも、現在のグループを理解するうえで大切です。オリジナルメンバー4人の歴史と、現在の3人体制は、どちらも太陽とシスコムーンを語るうえで欠かせません。
わずか1年半で幕を閉じたグループが、25年以上の時を経て再びステージに立ち続けている。その歩みは、音楽活動における再出発の可能性を感じさせます。2026年以降も、3人がどのようなステージを見せてくれるのか注目です。