2026年11月現在、読売巨人軍の終身名誉監督として「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんは、2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で89歳で逝去しています。訃報は読売新聞グループ本社、読売巨人軍などから発表され、日本中の野球ファンや関係者に大きな衝撃を与えました。
長嶋さんは現役時代に巨人の背番号3を背負い、王貞治さんとともにV9時代を支えた伝説的な三塁手です。引退後も巨人の監督としてチームを率い、2013年には松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞。2021年には野球界から初めて文化勲章を受章しました。2004年の脳梗塞発症後も野球への情熱を持ち続け、晩年まで球界を見守っていました。
この記事では、長嶋茂雄さんの死去はいつだったのか、死因や公式発表の内容、2004年の脳梗塞から晩年までの経緯、現役時代の成績、王貞治さんや松井秀喜さんとの関係、そして2025年のお別れの会と2026年の顕彰活動までを整理します。
【訃報の真相】長嶋茂雄さんはいつ死去した?死因は肺炎、享年89歳

長嶋茂雄さんが亡くなったのは、2025年6月3日(火曜日)です。
報道によると、午前6時39分、東京都内の病院で肺炎のため息を引き取りました。89歳でした。
訃報を受け、読売巨人軍の終身名誉監督としての功績だけでなく、日本のプロ野球を国民的なスポーツへと押し上げた存在として、その生涯に改めて注目が集まりました。
死去した日時・場所・死因の公式情報東京都の公式発表では、長嶋さんの逝去年月日は2025年6月3日、年齢は89歳と記録されています。
また、報道各社は読売新聞グループ本社などの発表として、死去した時刻や死因を伝えています。
| 確認項目 | 発表・報道された内容 |
|---|---|
| 氏名 | 長嶋茂雄(ながしま・しげお) |
| 生年月日 | 1936年2月20日 |
| 死去した日 | 2025年6月3日 |
| 死去した時刻 | 午前6時39分 |
| 享年 | 89歳 |
| 死因 | 肺炎 |
| 死去した場所 | 東京都内の病院 |
| 主な肩書き | 読売巨人軍終身名誉監督 |
| 訃報の発表 | 読売新聞グループ本社、読売巨人軍、オフィスエヌの連名 |
東京都は名誉都民としての長嶋さんの訃報を2025年6月3日付で公表しています。日本プロ野球名球会も同日、逝去を正式に伝えました。
読売新聞グループ本社による訃報の発表長嶋さんの死去については、読売新聞グループ本社、読売巨人軍、オフィスエヌの3者が連名で発表したと報じられています。
報道によれば、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われ、一般からの弔問や香典、供花などは辞退する方針が示されました。
この対応は、故人と遺族の意向を尊重しながら、後日、ファンや関係者が参加できるお別れの会を設けるという形につながりました。
長嶋さんは巨人軍の終身名誉監督であり、球団を象徴する人物でした。そのため、訃報は野球界だけにとどまらず、新聞、テレビ、スポーツ各社によって大きく報じられました。
「長嶋茂雄死去の経緯と真相」について死因として公表されたのは肺炎です。
ここで注意したいのは、2004年に発症した脳梗塞と、2025年の死因である肺炎を同一のものとして扱わないことです。
脳梗塞は長嶋さんの晩年の生活や身体機能に大きな影響を与えた出来事ですが、逝去に関する発表では死因は肺炎とされています。
公表された訃報の内容から確認できるのは、死去した日時、病院、年齢、死因です。これ以外の医学的な詳細や、個々の病歴と死去との直接的な因果関係については、公式発表の内容を超えて解釈することはできません。
【2004年の脳梗塞から晩年まで】長嶋茂雄さんの最後の歩み
長嶋茂雄さんの人生を振り返るうえで、大きな転換点となったのが2004年3月の脳梗塞です。
この出来事によって、長嶋さんの野球人生は新しい段階に入りました。
2004年3月4日に脳梗塞を発症長嶋さんは2004年3月4日、脳梗塞を発症しました。
当時は2004年アテネオリンピックの野球日本代表監督を務める予定でしたが、入院を余儀なくされ、代表チームの指揮を断念することになりました。
発症後は右半身に麻痺が残り、懸命なリハビリに取り組みました。
その後、2007年2月には巨人の春季キャンプを視察できるまでに回復しています。
この時期の長嶋さんは、以前のようにグラウンドで選手と一緒に動くことが難しくなっていました。それでも、野球への関心や後輩たちを応援する姿勢は失われませんでした。
晩年も続いた巨人への思い脳梗塞の発症後も、長嶋さんは読売巨人軍の終身名誉監督として球界との関わりを続けました。
球団の監督やコーチ、選手たちを激励する姿は、巨人軍にとって大きな精神的支柱となっていました。
2025年3月15日には、東京ドームで開催された巨人対ロサンゼルス・ドジャースのプレシーズンゲームに来場しています。
この日、長嶋さんは大谷翔平選手と対面しました。
試合後、大谷選手は長嶋さんとのツーショット写真を自身のSNSに投稿しています。車いすに座る長嶋さんと大谷選手が笑顔で並ぶ姿は、世代を超えた野球界のスター同士の交流として大きく報じられました。
報道によると、この3月15日の東京ドーム訪問が、長嶋さんが公の場に姿を見せた最後の機会となりました。
最後まで野球界を見守った長嶋さん長嶋さんの晩年を象徴するのは、現役時代のような身体的な活躍ではなく、野球界に対する変わらない関心です。
かつて自身が中心選手として活躍した巨人軍を見守り、新しい時代を担う選手たちを応援する姿は、多くの野球関係者にとって印象深いものでした。
特に2025年3月の大谷翔平選手との対面は、昭和のプロ野球を代表するスターと、現代の日本野球を代表するスターが同じ場所に立った象徴的な出来事でした。
長嶋さんの野球人生は、現役引退や監督退任で終わったわけではありません。病気を経験した後も、野球界に影響を与え続けていたのです。
【生涯と野球界への功績】長嶋茂雄さんの現役時代の成績と経歴
長嶋茂雄さんは1936年2月20日、千葉県に生まれました。
佐倉第一高校を経て立教大学に進学し、東京六大学野球でスター選手として注目を集めます。
1958年に読売ジャイアンツへ入団すると、プロ1年目から本塁打王と打点王を獲得し、新人王に輝きました。
現役生活は1958年から1974年までの17年間。通算成績だけでなく、勝負どころでの打撃や躍動感のある三塁守備、華やかなプレースタイルでファンを魅了しました。
長嶋茂雄さんの生涯年表| 年・時期 | 主な出来事 | 意義・実績 |
|---|---|---|
| 1936年2月20日 | 千葉県に誕生 | 後のミスタープロ野球 |
| 大学時代 | 立教大学で活躍 | 東京六大学野球のスター |
| 1958年 | 巨人に入団 | 新人王、本塁打王、打点王 |
| 1959年 | 天覧試合でサヨナラ本塁打 | 国民的スターとして注目 |
| 1965~1973年 | 巨人V9時代 | 王貞治さんとともに黄金期を支える |
| 1974年 | 現役引退 | 通算444本塁打を記録 |
| 1975~1980年 | 第一次巨人監督 | 1976、1977年にリーグ優勝 |
| 1993~2001年 | 第二次巨人監督 | 1994、1996、2000年にリーグ優勝 |
| 2004年 | 脳梗塞を発症 | リハビリを続けながら野球界を見守る |
| 2013年 | 国民栄誉賞を受賞 | 松井秀喜さんと同時受賞 |
| 2021年 | 文化勲章を受章 | 野球界から初の受章 |
| 2025年6月3日 | 肺炎のため逝去 | 享年89歳 |
| 2025年11月21日 | お別れの会 | 東京ドームで開催 |
| 2026年 | 長嶋茂雄賞の対象シーズン | 功績を次世代へ継承 |
日本野球機構(NPB)の公式年度別成績によると、長嶋さんの通算記録は次のとおりです。
長嶋茂雄・プロ通算成績2,471
安打444
本塁打1,522
打点.305
打率
通算試合数
2,186試合
通算出塁率
.379
首位打者
6回
最優秀選手(MVP)
5回
ベストナイン
17回
出典:日本野球機構、野球殿堂博物館の選手記録。
特に注目したいのは、打率.305という数字です。
長嶋さんは単に本塁打を量産する長距離打者ではありませんでした。安打を積み重ね、得点圏で勝負強さを発揮し、守備でもファンを魅了した選手です。
首位打者6回、MVP5回という記録も、その総合力を裏付けています。
1959年の天覧試合が象徴するスター性長嶋さんの伝説を語るうえで欠かせないのが、1959年6月25日の天覧試合です。
昭和天皇、香淳皇后が観戦された巨人対阪神戦で、長嶋さんは5回に同点本塁打を放ち、さらに9回裏には劇的なサヨナラ本塁打を記録しました。
試合は巨人が5対4で勝利。
この一打は、日本のプロ野球史に残る名場面として語り継がれています。
野球殿堂博物館にも、この試合で使用されたホームランバットが展示資料として取り上げられています。
巨人のV9を支えた背番号3と王貞治さん1965年から1973年まで、読売ジャイアンツは9年連続で日本シリーズを制覇しました。
この黄金時代が「V9」です。
チームを率いたのは川上哲治監督であり、長嶋さんと王貞治さんは打線の中心として活躍しました。
長嶋さんが三塁手、王さんが一塁手として並び立った姿は、二人の名前の頭文字を取って「ON」と呼ばれました。
ONコンビは、当時のプロ野球を象徴する存在です。
長嶋さんの背番号3は、現役引退後に巨人軍の永久欠番となりました。
2025年の追悼試合でも、巨人の監督、コーチ、選手が背番号3のユニホームを着用しています。
背番号3は、単なる選手番号ではなく、巨人の歴史と長嶋さんの功績を象徴する存在になっています。
【監督としての実績】長嶋茂雄さんは巨人を何度優勝させた?
長嶋さんは1974年に現役を引退した後、巨人軍の監督に就任しました。
監督としての在任期間は、1975~1980年の第一次政権と1993~2001年の第二次政権です。合わせて15シーズンにわたって指揮を執りました。
第一次監督時代と第二次監督時代第一次監督時代は、1976年と1977年にリーグ優勝を達成しました。
一方、1993年に監督へ復帰した第二次政権では、1994年、1996年、2000年にリーグ優勝を果たしています。
特に1996年は、シーズン途中に首位広島との最大11.5ゲーム差を逆転した「メークドラマ」が話題になりました。
2000年には、王貞治さんが監督を務める福岡ダイエーホークスとの日本シリーズが実現します。
長嶋巨人と王ダイエーの対決は「ON対決」と呼ばれ、長年にわたってライバルとして活躍した二人が監督として対峙する歴史的なシリーズとなりました。
巨人はこのシリーズを制し、日本一を達成しています。
終身名誉監督という肩書きの意味長嶋さんは2001年に監督を退任し、巨人軍の終身名誉監督に就任しました。
この肩書きは、単に過去の監督経験を称えるものではありません。
長嶋さんが巨人という球団に与えた影響の大きさを象徴するものです。
選手として17年間、監督として15シーズンを過ごし、巨人軍の歴史そのものに深く関わってきました。
監督退任後も、野球界の発展や後輩選手への激励を続けました。
こうした長年の貢献が、終身名誉監督という特別な立場につながっています。
【国民栄誉賞・文化勲章】長嶋茂雄さんが受けた2つの大きな栄誉
長嶋さんの功績は、プロ野球界だけで評価されたものではありません。
国民的な人気とスポーツ文化への貢献が認められ、国民栄誉賞と文化勲章という大きな栄誉を受けています。
2013年、松井秀喜さんと国民栄誉賞を受賞2013年5月5日、長嶋さんは松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞しました。
この受賞には、二人の師弟関係も深く関係しています。
長嶋さんは巨人の監督として松井さんを指導し、その才能を伸ばすことに尽力しました。
松井さんは巨人で活躍した後、メジャーリーグへ進出し、ニューヨーク・ヤンキースなどでも実績を残しています。
長嶋さんと松井さんが同時に国民栄誉賞を受賞したことは、師弟で築いた野球界への貢献を象徴する出来事となりました。
2021年、野球界から初めて文化勲章を受章もう一つの大きな節目が、2021年の文化勲章です。
長嶋さんは、プロ野球選手としての功績に加え、野球の普及やスポーツ文化の発展に貢献したことが評価されました。
2021年度の文化勲章受章者として政府から発表され、11月3日の親授式で天皇陛下から勲章を授与されています。
元プロ野球選手として初めての文化勲章受章であり、スポーツが日本の文化として認められるうえでも象徴的な出来事でした。
長嶋さん自身も受章に際して、野球界やファンへの思いを示しています。
長嶋茂雄さんの主な受賞・表彰| 年 | 賞・表彰 | 評価された功績 |
|---|---|---|
| 1958年 | 新人王 | プロ1年目からの活躍 |
| 1961・1963・1966・1968・1971年 | MVP | 現役時代の圧倒的な活躍 |
| 1988年 | 野球殿堂入り | プロ野球への長年の貢献 |
| 1994年 | 正力松太郎賞 | 巨人監督としての実績 |
| 2013年 | 国民栄誉賞 | 松井秀喜さんと同時受賞 |
| 2021年 | 文化勲章 | スポーツ振興への貢献 |
【2025年のお別れの会と2026年現在】長嶋茂雄さんの功績はどう受け継がれる?
長嶋さんの死去後、巨人軍や日本野球界では追悼行事が行われました。
その中心となったのが、2025年8月の追悼試合と11月の「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」です。
2026年現在、これらの行事はすでに終了していますが、長嶋さんの功績を伝える活動は続いています。
2025年8月16日、巨人軍の追悼試合を開催巨人軍は2025年8月16日、長嶋さんの追悼試合を開催しました。
この試合では、阿部慎之助監督をはじめとするコーチ、選手全員が、長嶋さんの永久欠番である背番号3のユニホームを着用しました。
試合前には追悼セレモニーも実施され、王貞治さんをはじめとする球界OBも参加しました。
長嶋さんが残した功績を、巨人軍の現役選手たちが受け継いでいくことを示す機会となりました。
2025年11月21日、東京ドームでお別れの会長嶋さんのお別れの会は、2025年11月21日(金曜日)、東京ドームで開催されました。
読売巨人軍公式の追悼ページによると、式典は関係者の部と一般の部に分けて実施されました。
ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会2025年11月21日
会場:東京ドーム
関係者の部
10:30~
一般の部
15:00~19:00
読売巨人軍公式追悼ページ掲載情報。
関係者の部には、野球界をはじめ政財界などから多くの関係者が参列しました。
王貞治さんや松井秀喜さんをはじめ、長嶋さんとゆかりの深い人々が追悼の思いを寄せました。
一般の部はファンも参加できる形式で開催され、長年応援してきた人々が東京ドームで別れを告げる機会となりました。
2026年に始まった「長嶋茂雄賞」とは?2026年現在の大きな動きとして注目されるのが、長嶋茂雄賞の創設です。
日本野球機構(NPB)は2025年11月10日、長嶋さんの功績を後世に伝えるため、新たな賞を設けることを発表しました。
対象となるのは、NPB12球団に所属する野手です。
単純な打率や本塁打数だけではなく、走攻守で顕著な活躍を見せ、グラウンド上のプレーでファンを魅了するなど、プロ野球の文化的価値を高めた選手を表彰する制度です。
2026年シーズンから対象となり、選考委員会が日本シリーズ終了後に選考し、NPB AWARDSで表彰する仕組みとなっています。
2026年3月には、選考委員5人も正式に決定しました。
| 選考委員 | 主な実績・経歴 |
|---|---|
| 王貞治さん | 巨人で長嶋さんとONコンビを形成 |
| 山本浩二さん | 元広島の主力選手・監督 |
| 岡田彰布さん | 元阪神・オリックス監督 |
| 栗山英樹さん | 元日本ハム監督、侍ジャパン監督 |
| 松井稼頭央さん | 元西武などの主力選手・監督 |
この賞の特徴は、数字だけでは測れない選手の魅力を評価する点にあります。
長嶋さんは、通算2471安打や444本塁打という記録を残しただけではありません。打席での振る舞いや守備の躍動感、観客を引きつける存在感そのものが、プロ野球の魅力を高めていました。
そのため、長嶋茂雄賞は、単に優秀な成績を残した選手に贈る賞とは異なる意味を持っています。
「記録」と「記憶」の両方でファンを魅了する選手を称えること。 それが、この賞に込められた考え方です。
2026年は、長嶋さんの名前が選手のプレーを評価する新しい制度として、プロ野球の中に受け継がれる最初のシーズンとなっています。
【長嶋茂雄さんの死去】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:長嶋茂雄さんが死去したのはいつですか?
長嶋茂雄さんは2025年6月3日午前6時39分、東京都内の病院で亡くなりました。享年89歳です。
Q2:長嶋茂雄さんの死因は何ですか?
公表された死因は肺炎です。2004年には脳梗塞を発症していますが、訃報で発表された死因は肺炎とされています。
Q3:長嶋茂雄さんは2026年現在も生きていますか?
いいえ。2025年6月3日に89歳で逝去されています。2026年現在は、追悼活動や長嶋茂雄賞の創設などを通じて、その功績が受け継がれています。
Q4:長嶋茂雄さんの通算成績はどれくらいですか?
プロ通算2186試合に出場し、2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305を記録しました。首位打者6回、MVP5回という実績も残しています。
Q5:長嶋茂雄さんは国民栄誉賞を受賞していますか?
はい。2013年5月5日に松井秀喜さんとともに受賞しています。また、2021年には野球界から初めて文化勲章を受章しました。
Q6:長嶋茂雄さんのお別れの会はいつ開催されましたか?
2025年11月21日に東京ドームで開催されました。関係者の部は午前10時30分から、一般の部は午後3時から午後7時まで行われました。
Q7:長嶋茂雄賞はどのような賞ですか?
2026年シーズンから始まったNPBの表彰制度です。走攻守で優れた活躍をし、ファンを魅了するなど、プロ野球の価値を高めた野手を対象としています。
長嶋茂雄さんは、2025年6月3日、肺炎のため89歳で逝去しました。
1958年の巨人入団から1974年の現役引退まで、17年間にわたってプロ野球界を牽引。通算2471安打、444本塁打、1522打点という輝かしい成績を残しました。
王貞治さんとのONコンビで支えたV9時代、1959年の天覧試合でのサヨナラ本塁打、そして監督としての巨人の優勝と日本一。長嶋さんの足跡は、昭和から平成にかけての日本野球史に深く刻まれています。
2013年の国民栄誉賞、2021年の文化勲章も、野球界を超えた功績を示すものです。
2025年には巨人軍による追悼試合と東京ドームでのお別れの会が行われ、2026年には長嶋茂雄賞が始まりました。
長嶋さんの功績を振り返る際に大切なのは、通算成績だけで評価しないことです。
野球の記録を残した選手であると同時に、野球そのものを人々が夢中になる文化へと押し上げた存在だったこと。 そこに、ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄さんの本質があります。
背番号3が巨人軍の永久欠番として残り、長嶋茂雄賞という新しい表彰制度が生まれたことは、その影響が現在も続いている証しです。
89年の生涯を通じて日本の野球界に大きな足跡を残した長嶋茂雄さん。そのプレーと人柄、そして野球への情熱は、これからも世代を超えて語り継がれていきます。