歌手・増田恵子さんの夫だった桑木知二さんの死因は、膵臓がんです。桑木さんは2024年8月21日の夜、70歳で亡くなりました。増田さんが訃報を公表したのは同年10月7日。結婚から22年、長く連れ添った夫との別れでした。
病気が判明するきっかけとなったのは、物が二重に見える複視(ダブルビジョン)でした。2024年3月に膵臓がんが見つかり、翌4月には肝臓への転移が判明してステージ4と診断。抗がん剤治療を受けないという夫婦の決断や約5カ月の自宅療養について、2026年1月23日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』でも増田さんが振り返っています。
加えて、2026年10月現在の増田さんは、ピンク・レディーのデビュー50周年、ソロデビュー45周年という節目を迎え、歌手活動を続けています。夫との出会いや結婚生活、闘病の経緯、現在の活動までを時系列で整理します。
【死因の真相】増田恵子の夫・桑木知二さんは膵臓がんで70歳で死去

増田恵子さんの夫だった桑木知二さんは、2024年8月21日の夜、膵臓がんのため亡くなりました。享年70歳です。
増田さんは2024年10月7日、自身の公式ブログ「Yes!My Life」を更新し、夫の死去を報告しました。所属事務所を通じてもコメントを発表し、桑木さんが膵臓がんと診断されたこと、肝臓にも転移して末期と診断されたことを明かしています。
葬儀は親族のみで執り行われました。訃報の公表まで時間が空いたのは、夫を亡くした直後の精神的な負担が大きかったためです。増田さん自身も、公式ブログで当時の心境を率直につづっています。
特に印象的なのは、夫が亡くなるまでの最後の3時間についての記述です。増田さんは夫の手を握り、声を掛け続けながら最期を看取ったと報告しました。
「最期の三時間、ずっとトモの手を握って声を掛け続け、看取ることが出来ました。」
この言葉からは、長年連れ添った夫婦の深い絆が伝わります。桑木さんの死因は膵臓がんであり、以前患った肺がんが直接の死因だったわけではありません。この点は、過去の病歴と最終的な死因を区別するうえで重要です。
増田さんの公式ブログ、2024年10月の日刊スポーツの報道、2026年1月のスポニチの番組報道でも、死去の日付と死因は一致しています。
【病気発覚の経緯】複視から膵臓がんが見つかり肝臓転移でステージ4へ
桑木知二さんの闘病で注目されたのが、目の不調をきっかけに重大な病気が見つかったという経緯です。
当初、桑木さんは膵臓がんを疑うような強い体調不良を訴えていたわけではありませんでした。増田さんの公式ブログによると、最初の変化は2023年5月ごろにさかのぼります。
2023年5月ごろ:歩行中に息切れが起きる増田さんと一緒に歩いていた際、桑木さんは息が上がり、先に行ってほしいと話したそうです。
当時は運動不足ではないかと夫婦で話し、深刻な病気につながるとは考えていませんでした。
2023年12月:物が二重に見える複視が発生次に現れたのが、物が二重に見えるダブルビジョンという症状でした。
桑木さんは映像作品のミキサーの仕事をしており、目を酷使しているためではないかと考えていたといいます。沖縄のドキュメンタリー作品の仕事も抱えており、納品が終わってから病院に行くと話していたことを、増田さんは2026年の『徹子の部屋』で振り返りました。
2024年2月:脳ドックと眼科を受診するも原因不明複視が続いたため、桑木さんは脳ドックと眼科を受診しました。しかし、この時点では目の不調の原因は特定できませんでした。
増田さんは後の公式ブログで、この検査でも原因が分からなかったことを明かしています。
2024年3月6日:大学病院で膵臓がんが判明大きな転機となったのは、2024年3月6日です。
主治医のいる大学病院で詳しい検査を受けた結果、思いもよらなかった膵臓がんが発見されました。当初の診断はステージ2bだったと増田さんは説明しています。
目の症状については、その後、橋本病が原因だったと判明。薬の投与によって複視は改善したといいます。
つまり、目の不調と膵臓がんは同じ原因によるものではありませんでした。目の症状を調べる過程で、別の重大な病気が発見されたという経緯です。
2024年4月初旬:肝臓への転移が判明しステージ4にさらに詳しい検査を進めると、膵臓がんが肝臓へ転移していることが判明しました。
当初ステージ2bだった病状は、4月初旬にはステージ4の末期と診断されます。診断から短期間で状況が大きく変わり、夫婦にとって非常に厳しい現実となりました。
増田さんは2024年10月の報告で、以前の肺がんについても説明しています。桑木さんは約5年前、ステージ1にも満たない初期の肺がんを発見され、手術によって摘出。抗がん剤治療は必要なく、その後も年3回の検査を受けて異常はなかったそうです。
このため、過去に肺がんを経験していたことと、今回の膵臓がんによる死去を混同しないことが大切です。
【闘病の選択】抗がん剤治療を受けず約5カ月の自宅療養を選んだ理由
桑木知二さんの闘病で大きな関心を集めたのが、抗がん剤治療を受けないという選択です。
膵臓がんがステージ4と診断された後、医師からは抗がん剤治療を勧められていました。しかし、夫婦は以前から死生観について話し合っており、桑木さん自身は薬をできるだけ使いたくないという考えを持っていたそうです。
余命の説明を受け、夫婦で話し合った決断2024年12月30日公開の文藝春秋オンラインの対談記事では、増田さんが抗がん剤治療をめぐる夫婦のやり取りを詳しく語っています。
増田さんは、結論を出す前夜に自分の気持ちを伝えました。夫に抗がん剤治療を受けてほしいと話したところ、桑木さんは穏やかに耳を傾け、まだ説明を聞いていないことがあると答えたといいます。
翌日の医師との面談で説明されたのは、抗がん剤を使わない場合は4カ月、使った場合は13カ月という見通しでした。これは当時の桑木さん個人について医師から説明された予測であり、すべての膵臓がん患者に当てはまる数字ではありません。
夫婦は話し合いを重ね、延命期間だけを優先するのではなく、残された時間をできるだけ穏やかに過ごす道を選びました。
「命の長さではなく、生活の質を選ぼう!」
この言葉は、増田さんが公式ブログで公表した夫婦の決断を象徴しています。
約5カ月の自宅療養で大切にした日常桑木さんは抗がん剤治療を受けない選択をし、約5カ月にわたる自宅療養生活を送りました。
2026年1月23日の『徹子の部屋』出演に関するスポニチの報道でも、夫の意向を尊重して抗がん剤治療を行わず、自宅で過ごした日々について紹介されています。
増田さんによると、病気が分かった後も桑木さんは比較的穏やかに過ごしていました。本人が病状を受け入れ、残された時間を大切にしていたことが、夫婦の暮らしにも影響していたようです。
また、増田さんは毎日夫の体調を心配して「今日はどう?」と尋ねていたものの、あるとき桑木さんから、痛い場所を自分で探してしまうので、そうした質問は控えてほしいと言われたことも明かしています。
その後は夫の希望を尊重し、必要以上に病気を意識させないように過ごしたそうです。
抗がん剤治療を選ばなかったことは、あくまで桑木さん本人の価値観と夫婦の話し合いによる決断です。治療の選択は病状や本人の希望、医師の説明によって異なります。この夫婦の経験を、一般的な治療方針として捉えるべきではありません。
【夫婦の歩み】増田恵子と桑木知二さんの結婚は2002年6月
増田恵子さんと桑木知二さんが結婚したのは、2002年6月です。
結婚当時、増田さんは44歳。桑木さんは4歳年上で、音響会社「ギルド・ジャパン」の社長を務めていました。2002年6月の結婚発表は、当時の芸能ニュースでも大きく取り上げられました。
20代で出会い、長い友人関係を経て結婚2人の馴れ初めについては、2026年10月22日公開の雑誌『ハルメク』関連インタビューで、増田さん本人が詳しく振り返っています。
桑木さんとの出会いは、増田さんが20代の頃でした。桑木さんは音響関係の仕事をしており、2人は知り合ってから長く友人として付き合っていたそうです。
その後、増田さんが44歳になった2002年に結婚。知り合ってすぐに結婚したのではなく、長年の関係を経て夫婦になったことが分かります。
増田さんは初めて会ったときの桑木さんについて、笑顔がとても印象的な人だったと語っています。前向きで、誰とでも自然に仲良くなれる大らかな性格だったそうです。
夫の影響で料理や暮らし方も変化2026年1月23日の『徹子の部屋』では、夫との結婚生活についても紹介されました。
増田さんは結婚するまで食事にあまりこだわりがなかったものの、料理好きだった桑木さんの影響で、出汁を取って料理を作るようになったといいます。
昆布やかつお節、どんこを使って丁寧に出汁を取る習慣も、夫との暮らしの中で身につけたものです。
2026年10月の『ハルメク』インタビューでも、夫が亡くなった後も出汁を取る習慣を続けていることや、一人分の煮物を再び作れるようになったことを語っています。
結婚生活の中で育まれた料理や生活習慣が、夫を亡くした後の増田さんの日常にも残っているのです。
ここまでの情報を整理すると、2人の関係や桑木さんの病気の経緯は次のようになります。
| 時期 | 人物・出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 増田さん20代 | 2人の出会い | 音響関係の仕事をしていた桑木さんと知り合い、長く友人として交流。 |
| 2002年6月 | 結婚 | 増田さん44歳のときに結婚。桑木さんは4歳年上。 |
| 約2019年ごろ | 肺がんの手術 | 初期の肺がんを発見し、摘出。その後の検査では異常なし。 |
| 2023年5月ごろ | 体調の変化 | 歩行中の息切れなどが見られる。 |
| 2023年12月 | 複視が発生 | 物が二重に見えるダブルビジョンを訴える。 |
| 2024年2月 | 検査 | 脳ドックと眼科を受診するも原因が特定できず。 |
| 2024年3月6日 | 膵臓がん発覚 | 大学病院で検査を受け、当初ステージ2bと診断。 |
| 2024年4月初旬 | ステージ4と診断 | 肝臓への転移が判明。末期と診断される。 |
| 2024年4月以降 | 闘病生活 | 抗がん剤治療を受けない方針を選び、自宅療養を続ける。 |
| 2024年8月21日 | 桑木さん死去 | 膵臓がんのため70歳で亡くなる。 |
| 2024年10月7日 | 訃報公表 | 増田さんが公式ブログと所属事務所を通じて報告。 |
| 2026年1月23日 | 『徹子の部屋』出演 | 夫との闘病生活や思い出、笑顔を大切にする現在の心境を語る。 |
| 2026年8月 | デビュー50周年 | ピンク・レディーのケイとしての50周年とソロ45周年を迎え、新曲を発表。 |
この時系列から分かるのは、2002年の結婚から22年間をともに過ごした夫婦が、2024年に突然ともいえる厳しい病状の変化に直面したことです。
また、以前の肺がんが再発したという話ではなく、今回の死因は新たに見つかった膵臓がんでした。複視についても、後に橋本病が原因と説明されています。病歴や症状を一つの病気に結びつけないことが、経緯を正確に理解するポイントです。
【2026年最新】徹子の部屋で語った夫との思い出と増田恵子の現在
2026年1月23日、増田恵子さんはテレビ朝日系の長寿トーク番組『徹子の部屋』に出演しました。
番組のテーマは「デビュー50年!亡き夫に誓い笑顔で」。桑木さんとの闘病生活や、夫を亡くした後の心境について語りました。
夫が褒めてくれた笑顔を大切にする日々番組で紹介されたのは、自宅療養中の桑木さんとの忘れられない会話です。
増田さんがキッチンで料理をしていたとき、夫から質問され、振り向いて答えたところ、桑木さんは彼女の笑顔を褒めてくれたといいます。
「ケイ、そんなにすてきな笑顔をしてくれるの」
増田さんにとって、この言葉は夫から受け取った大切な贈り物になりました。
桑木さんは病気になったことについて、自分を責めたり、増田さんに謝ったりすることがほとんどなかったそうです。増田さんは夫の穏やかな表情と言葉を胸に刻み、自分も夫の分まで笑顔で生きていこうと決めました。
番組では、毎朝、夫の遺影に向かって笑顔が健在かどうかを尋ねる習慣も紹介されました。
これは単に悲しみを忘れようとするものではありません。夫との暮らしで得たものを、これからの人生にもつなげていこうとする増田さんの姿勢が表れています。
2026年はピンク・レディー50周年とソロ45周年増田惠子さんは1957年9月2日生まれ、静岡県出身の歌手・女優です。
1976年にピンク・レディーのメンバーとして「ペッパー警部」でデビュー。1981年のグループ解散後は、同年11月に中島みゆきさん作詞・作曲の「すずめ」でソロデビューしました。
その後も歌手活動と女優活動を続け、2010年にはピンク・レディーの「解散やめ!」を発表。2011年には再始動したグループとして全国ツアーを行いました。
2026年8月には、ピンク・レディーとしてのデビュー50周年と、ソロデビュー45周年という大きな節目を迎えています。
新曲「貴方は彼方へ」を2026年8月に発表2026年の活動で注目されるのが、新曲「貴方は彼方へ」です。
増田さんの公式サイトによると、この曲は2026年8月5日に配信リリースされ、8月19日にはCDシングルも発売されました。
作詞は増田惠子さんと竹原ピストルさん、作曲は竹原ピストルさんです。増田さんが書いた手紙をもとに竹原さんが歌詞とメロディーを制作した作品で、大切なパートナーを失った人の喪失感に寄り添う楽曲として紹介されています。
夫との別れを経験した増田さんが、歌を通じて誰かの心に寄り添う作品を発表したことは、2026年の活動を考えるうえで印象的な出来事です。
2026年10月以降のコンサート・出演予定2026年10月31日時点で、増田さんの公式サイトには、今後の公演やテレビ出演に関する情報が掲載されています。
- 2026年12月14日:京都・ウェスティン都ホテル京都で「増田惠子 CHRISTMAS DINNER SHOW 2026」を開催予定。
- 2027年2月9日・10日:東京・I’M A SHOWで「I Love Singing スペシャル!〜ソロ、カバー、そしてピンク・レディー〜Vol.2」を開催予定。
2027年の公演は、ソロ曲やカバー曲、ピンク・レディーの楽曲を組み合わせた内容です。2026年9月に開催が発表され、10月には両日のセットリストも公開されました。
夫との別れを経験した後も、増田さんは歌手としてステージに立ち続けています。2026年10月22日公開の『ハルメク』インタビューでも、夫から褒められた笑顔を大切にしながら、歌える限り歌い続けたいという思いを語っています。
【増田恵子の夫の死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増田恵子の夫・桑木知二さんの死因は何ですか?
A1:膵臓がんです。2024年3月に発覚し、肝臓への転移によってステージ4と診断されました。2024年8月21日に70歳で亡くなっています。
Q2:桑木知二さんはなぜ膵臓がんが発覚したのですか?
A2:物が二重に見える複視(ダブルビジョン)をきっかけに検査を受けたことが発見につながりました。2024年2月の脳ドックと眼科では原因が分からず、3月6日の大学病院での検査で膵臓がんが判明しました。なお、複視の原因は後に橋本病と分かっています。
Q3:桑木知二さんは膵臓がんのステージ4だったのですか?
A3:はい。当初はステージ2bと診断されましたが、2024年4月初旬に肝臓への転移が判明し、ステージ4の末期と診断されました。
Q4:桑木知二さんは肺がんも患っていたのですか?
A4:はい。約5年前に初期の肺がんが見つかり、手術で摘出したと増田さんが説明しています。その後の検査では異常がなかったとされ、最終的な死因は膵臓がんです。
Q5:桑木知二さんは抗がん剤治療を受けなかったのですか?
A5:はい。本人の希望と夫婦の話し合いによって、抗がん剤治療を受けない選択をしました。医師から余命の見通しについて説明を受けた後、生活の質を大切にする方針を決め、約5カ月の自宅療養生活を送りました。
Q6:増田恵子と桑木知二さんはいつ結婚しましたか?
A6:2002年6月です。増田さんが44歳のときで、桑木さんは4歳年上でした。20代の頃に出会い、長く友人として付き合った後に結婚しています。
Q7:2026年現在、増田恵子は何をしていますか?
A7:歌手・女優として活動を続けています。2026年はピンク・レディーのデビュー50周年とソロデビュー45周年を迎え、新曲「貴方は彼方へ」を発表。テレビ出演やコンサートも行い、2026年12月には京都でディナーショーを予定しています。
増田恵子さんの夫・桑木知二さんの死因は膵臓がんです。2024年3月6日に病気が判明し、4月初旬には肝臓への転移によってステージ4と診断されました。そして同年8月21日、70歳で亡くなりました。
物が二重に見える複視をきっかけに検査を受けたこと、以前に初期の肺がんを経験していたこと、抗がん剤治療を受けずに自宅で過ごす選択をしたことなど、闘病には多くの出来事がありました。
増田さんと桑木さんは2002年6月に結婚し、20年以上にわたって人生をともにしました。2026年の『徹子の部屋』では、夫から褒められた笑顔を大切にし、これからも丁寧に生きていきたいという思いを語っています。
2026年はピンク・レディーのデビュー50周年、ソロデビュー45周年という記念すべき年です。新曲「貴方は彼方へ」の発表やコンサート活動など、増田さんは今も歌手として前進しています。
桑木さんとの思い出を大切にしながら、自分らしく歌い続ける増田恵子さん。その現在の姿には、長年連れ添った夫婦の絆と、音楽に向き合い続ける一人の歌手としての強さが表れています。