2026年11月現在、作曲家の神津善行さんは94歳。1932年1月2日生まれで、映画音楽を中心に数多くの作品を手掛けてきた音楽家です。2026年3月には、女子プロゴルファーの樋口久子さんとの対談が公開され、長年親しんできたゴルフや、かつての砧ゴルフ場での思い出を語りました。
一方、私生活では2023年12月31日に妻の中村メイコさんを亡くしています。2025年の「徹子の部屋」では、妻との別れから2年近くが経過した心境や、仏壇代わりに作った「メイコの部屋」についても明かしました。映画音楽300作品以上という実績、国立音楽大学での学び、最近の活動、そして妻を見送った後の暮らしまで、公開された情報をもとに紹介します。
【2026年最新】神津善行の現在は94歳!樋口久子との対談で語った近況

神津善行さんの現在を知るうえで注目したいのが、2026年3月10日に公開されたゴルフ専門メディアの対談記事です。
「週刊ゴルフダイジェスト」の特別企画として、女子プロゴルファーの樋口久子さんと神津さんが再会。かつての砧ゴルフ場を舞台にした思い出や、ゴルフを通じた長年の交流について語りました。
94歳になった現在もゴルフを楽しみにしている対談の中で神津さんは、自身が94歳になったことに触れ、妻を亡くしてから体の動きも以前とは変わってきたと話しています。
それでも、ゴルフについては楽しみの一つとして挙げています。対談では、次のような言葉が印象に残りました。
「ゴルフみたいに楽しむものがないとね。」
この発言からは、年齢を重ねても自分が楽しめるものを大切にする姿勢が伝わります。
神津さんとゴルフの関係は、単なる趣味という範囲に収まりません。国立音楽大学の学生時代からゴルフを始め、70年以上にわたって親しんできました。
樋口久子とは約60年ぶりの再会今回の対談で語られたのは、現在のゴルフ事情だけではありません。
2人が初めて接点を持ったのは、東京都世田谷区にあった砧ゴルフ場です。樋口さんは高校生の頃、姉が働いていた同ゴルフ場に通っていました。当時、神津さんも東宝の撮影所から歩いてゴルフ場へ足を運んでいたといいます。
樋口さんは当時、ゴルフ場で練習するうちにゴルフの面白さを知ったと振り返っています。神津さんも、樋口さんがクラブを運んでくれた思い出を語りました。
砧ゴルフ場は1955年に9ホールのコースとして開場し、1966年に閉鎖。現在は都立砧公園となっています。
対談では、かつてのコースの配置や、東宝の俳優たちが集まっていた時代の様子も話題になりました。約60年の時を経て交わされた会話は、昭和の映画界と日本女子ゴルフの歴史を同時に振り返る内容となっています。
ゴルフ連載「神津善行のゴルフ桟敷」は最終回に2026年3月の対談記事では、神津さんが週刊ゴルフダイジェストで続けていた連載「神津善行のゴルフ桟敷 ~そっとのぞいてみてごらん」が、前月に最終回を迎えたことも紹介されました。
つまり、2026年2月に長年の連載が一区切りを迎え、その後、樋口さんとの特別対談が掲載されたという流れです。
作曲家としての活動とは別に、ゴルフを通じた発信も神津さんの長年の活動を支えてきた大切な要素だったことが分かります。
神津善行さんは、昭和の映画やテレビ、歌謡曲を音楽面から支えてきた作曲家です。
1932年1月2日に東京で生まれ、麻布学園を経て国立音楽大学へ進学しました。1956年に同大学のトランペット専攻を卒業しています。
作曲は信時潔さんや服部正さんに師事。トランペットについても専門的な指導を受け、音楽家としての基礎を築きました。
神津善行のプロフィールと主な経歴| 時期 | 出来事・活動 | 内容・実績 |
|---|---|---|
| 1932年1月2日 | 誕生 | 東京都生まれ |
| 学生時代 | 音楽の専門教育 | 国立音楽大学でトランペットを専攻 |
| 1956年 | 大学卒業 | 国立音楽大学トランペット専攻を卒業 |
| 1950年代以降 | 作曲家として活動 | 映画音楽、歌謡曲、テレビ関連音楽などを制作 |
| 1962年 | 映画音楽 | 『ニッポン無責任時代』の音楽を担当 |
| 1992年 | 音楽活動の展開 | 古楽器集団「六華仙」を結成 |
| 2018年 | くにたち賞 | 国立音楽大学同調会の第1回大賞を受賞 |
| 2023年12月31日 | 妻との別れ | 中村メイコさんが89歳で死去 |
| 2025年10月15日 | テレビ出演 | 「徹子の部屋」で森公美子さんと共演 |
| 2026年3月 | ゴルフ特別対談 | 樋口久子さんとの対談が公開 |
上記の経歴は、国立音楽大学の公式略歴や映画作品の記録、テレビ番組の放送情報などで確認できる内容です。
戦後のジャズ文化に影響を受けた若き日神津さんの音楽家としての出発点には、戦後のジャズ文化があります。
週刊ゴルフダイジェストのプロフィールでは、戦後のジャズに魅了され、バンドボーイを経験したことも紹介されています。
また、学生時代から作詞・作曲家の三木鶏郎さんのもとで仕事をするようになりました。三木さんの周辺には永六輔さんなど、後の日本の放送・芸能文化を支える人物が集まっていました。
神津さんはそこで歌手のための楽曲制作や歌の指導などにも携わり、映画音楽以外の分野にも活動を広げていきます。
映画『ニッポン無責任時代』など昭和の作品を担当代表的な仕事として知られるのが、1962年公開の映画『ニッポン無責任時代』です。
植木等さんが主演した東宝の喜劇映画で、クレージーキャッツの活躍とともに昭和の高度経済成長期を象徴する作品として知られています。神津さんはこの作品の音楽を担当しました。
そのほか、東宝の「社長シリーズ」をはじめ、数多くの映画作品で音楽を手掛けています。
映画音楽は、作品の雰囲気や登場人物の感情、物語のテンポを支える重要な要素です。多くの作品を担当した神津さんの仕事は、昭和の映画文化を音楽面から支えた実績として評価されています。
【映画音楽約300作品】神津善行の実績は330作品?339本との違い
神津善行さんの経歴を調べると、映画音楽の担当数について「約300曲」「300本以上」「330作品」「339本」といった複数の数字が登場します。
数字が違うため混乱しやすい部分ですが、ここでは公表されているプロフィールと本人の発言を分けて整理する必要があります。
国立音楽大学の公式略歴では330作品2018年に国立音楽大学が公開した同窓会の受賞者紹介では、神津さんの実績として映画音楽330作品を担当したことが記されています。
一方、婦人公論.jpのプロフィールでは、映画音楽を中心に約300曲を作曲したと紹介されています。
加えて、2026年3月の樋口久子さんとの対談では、神津さん自身が映画音楽について339本と語りました。
これらは掲載された時期や集計の基準が異なる可能性があり、すべてを同一の確定数字として扱うのは適切ではありません。ただし、少なくとも300作品を超える規模で映画音楽を担当してきたことは、複数の公開資料から確認できます。
映画音楽だけではない幅広い作曲活動神津さんの仕事は映画音楽だけにとどまりません。
国立音楽大学の略歴では、歌謡曲についても50曲を手掛けたと紹介されています。代表的な楽曲には、次の作品があります。
- 「新妻に捧げる歌」
- 「星空に両手を」
また、交響詩「月山」や小交響詩「依代」など、クラシック音楽に関連する作品も制作しています。
植物の研究と音楽を結び付けた独自の活動神津さんの経歴でも興味深いのが、植物と音楽を結び付けた研究です。
国立音楽大学の公式略歴によると、神津さんは植物が発する微弱な信号の採取と解析に取り組み、早稲田大学理工学部の特別研究員として活動しました。同学部では15年間講師も務めています。
加えて、植物の発信波と競演することを目指して、古楽器集団「六華仙」を結成。日本国内だけでなく、海外でも演奏会を開きました。
一般的な映画音楽の作曲家という肩書きだけでは、神津さんの活動の全体像は見えてきません。音楽と自然、科学的な研究を結び付けようとした点にも、独自の探究心が表れています。
【夫婦の歴史】神津善行と妻・中村メイコの結婚生活は66年間
神津善行さんを語るうえで欠かせない存在が、長年連れ添った妻の中村メイコさんです。
中村さんは1934年生まれの女優で、幼少期から子役として芸能活動を始めました。映画やテレビ、舞台などで活躍し、昭和の芸能界を代表する人物の一人として知られています。
2人の出会いは音楽の仕事がきっかけ神津さんと中村さんが出会ったのは、作詞・作曲家の三木鶏郎さんの仕事場でした。
2025年1月号の『婦人公論』に掲載されたインタビューで、神津さんは当時の出会いを振り返っています。
中村さんのために曲を作ることになり、歌える音域を確認しようとしたところ、彼女が冗談めかして応じたことが印象に残ったそうです。
音楽の仕事を通じて知り合った2人は、1957年に結婚しました。
3人の子どもにも恵まれた家庭2人の間には一男二女が誕生しています。
- 長女・神津カンナさん:作家、エッセイストとして活動。
- 次女・神津はづきさん:女優として活動。
- 長男・神津善之介さん:画家として活動。
芸能や文化、芸術に携わる家族として知られ、それぞれが異なる分野で活動してきました。
中村さんと神津さんの結婚生活は、2023年12月の死別まで約66年間続きました。長い年月を共に過ごした夫婦だったことが、神津さんの後年のインタビューからもうかがえます。
中村メイコさんは2023年12月31日に死去中村メイコさんは2023年12月31日、肺塞栓症のため89歳で亡くなりました。
2024年1月7日、所属事務所が訃報を公表。TBS NEWS DIGなどの報道によると、親族による密葬はすでに済んでいたとされています。
夫の神津さんは訃報に際し、中村さんが2歳8か月で映画デビューしてから86年間にわたり芸能活動を続けたことに触れ、生涯現役で活動を終えたことへの感謝を伝えました。
長年連れ添った伴侶を失ったことは、神津さんの生活にも大きな変化をもたらしました。
【妻との別れ後の生活】2025年「徹子の部屋」で明かした現在の心境
中村メイコさんが亡くなった後、神津さんがどのように生活しているのかは、多くの人が関心を寄せてきたテーマです。
その近況を知る手掛かりとなるのが、2025年3月と10月に放送された「徹子の部屋」です。
「メイコの部屋」を仏壇代わりにして暮らす2025年3月20日放送の「徹子の部屋」には、長女の神津カンナさんと次女の神津はづきさんが出演しました。
2人は母親の中村メイコさんについて振り返り、父の神津善行さんが現在も一人暮らしを続けていることを紹介しています。
特に注目されたのが、神津さんが作った「メイコの部屋」です。
これは中村さんが生前に使っていたお酒の棚を利用して作った、妻をしのぶための空間です。仏壇の代わりとして大切にしており、ミニチュアの階段や床を作ったり、ペンキを塗ったりするなど、自分なりに手を加えていることも娘たちが明かしました。
単に写真を飾るだけではなく、妻が過ごしていた場所に自分の手で手を加える。その行動からは、神津さんなりの妻との向き合い方が感じられます。
2025年10月15日「徹子の部屋」に森公美子と出演2025年10月15日放送の「徹子の部屋」には、神津さんと歌手・俳優の森公美子さんが出演しました。
森さんは神津家と長年の交流があり、次女のはづきさんとは20代からの友人です。神津さんにとっても、森さんは家族ぐるみで付き合ってきた大切な存在でした。
番組では、中村さんとの突然の別れや、亡くなった後の生活について語られました。
神津さんは、妻が生きていた頃と比べて家の中が静かになったことを話し、寂しさを隠しませんでした。
また、中村さんが亡くなった際には、以前2人で交わしていた死後の話を思い出し、妻が一人で困っているのではないかと考えて悲しみがこみ上げたことも明かしています。
現在も「メイコの部屋」の前で妻に話しかけることが、心を落ち着かせる時間になっていると報じられています。
森公美子にとって神津善行は恩人でもあるこの番組では、神津さんと森公美子さんの師弟関係に近い交流も紹介されました。
神津さんは若い頃から森さんの歌唱力や個性に注目し、自身が指揮する舞台のコーラスに起用したことがあったそうです。
森さんは、神津さんから個性を大切にするよう助言されたことが、現在の自分につながっていると感謝を伝えています。
妻を亡くした後も、家族や長年の友人とのつながりが神津さんの人生に残っていることが分かるエピソードです。
【プロの結論】2026年の神津善行を理解するために知っておきたいこと
神津善行さんの現在を調べる際には、作曲家としての実績と、94歳を迎えた一人の人間としての近況を分けて見ることが大切です。
2026年3月の樋口久子さんとの対談から確認できるのは、神津さんが長年続けてきたゴルフを楽しみとし、過去の思い出を語る機会を持っていることです。一方、作曲家として新たな映画音楽を現在も継続的に発表しているという情報とは区別する必要があります。
知っておきたい3つのポイント1. 映画音楽の実績は数字だけで評価しない
330作品、339本、約300作品という表現の違いがありますが、共通しているのは300作品を超える映画音楽を担当してきたという実績です。数字の細かな違いよりも、昭和の映画界に長く貢献してきたことに注目したいところです。
2. ゴルフは晩年の生活を支える大切な楽しみ
2026年3月の対談で神津さん自身が語ったように、ゴルフは長年続けてきた趣味です。砧ゴルフ場での思い出や樋口久子さんとの再会は、音楽以外の神津さんの人生を知るうえでも重要な話題となっています。
3. 妻を亡くした後の生活は本人の言葉から理解する
中村メイコさんとの別れは、神津さんにとって大きな出来事でした。2025年のテレビ出演では、一人暮らしの寂しさとともに、妻を思い続ける日常について語っています。家族が紹介した「メイコの部屋」も、その暮らしを象徴する存在です。
94歳という年齢だけで活動を判断するのではなく、本人が何を楽しみ、どのような思い出を大切にしているのかを見ることで、現在の姿がより具体的に分かります。
神津善行の現在に関するよくある質問(FAQ)
Q1:神津善行は2026年現在何歳ですか?
A1:1932年1月2日生まれで、2026年11月現在94歳です。2026年3月の樋口久子さんとの対談でも、本人が94歳であることに触れています。
Q2:神津善行は現在も作曲活動をしていますか?
A2:映画音楽を中心に300作品以上を手掛けてきた作曲家です。2026年にはゴルフ関連の連載や樋口久子さんとの対談が確認できますが、2026年11月時点で新作の映画音楽を継続的に発表しているという情報は確認できません。
Q3:神津善行が担当した映画音楽は何作品ですか?
A3:国立音楽大学の公式略歴では330作品、2026年3月の対談では本人が339本と語っています。媒体や時点によって数字に違いがありますが、300作品を超える実績があります。
Q4:妻の中村メイコはいつ亡くなりましたか?
A4:2023年12月31日です。肺塞栓症のため89歳で亡くなりました。神津さんとは1957年に結婚し、約66年間連れ添いました。
Q5:神津善行は妻の死後、どのように暮らしていますか?
A5:2025年の報道では、一人暮らしを続けながら、妻をしのぶ「メイコの部屋」を大切にしていることが紹介されました。妻の思い出に話しかけることが、心を落ち着かせる時間になっていると語っています。
Q6:神津善行と樋口久子の対談はいつ公開されましたか?
A6:2026年3月10日にゴルフ専門メディアで前編・後編が公開されました。砧ゴルフ場での思い出や、昭和のゴルフ事情などが語られています。
神津善行さんは2026年11月現在94歳。国立音楽大学を卒業し、映画音楽を中心に300作品以上を担当してきた、日本の音楽文化を支えた作曲家です。
2026年3月には樋口久子さんとの特別対談が公開され、70年以上続けてきたゴルフへの思いや、かつての砧ゴルフ場での懐かしい記憶を語りました。また、2026年2月には長年続けた「神津善行のゴルフ桟敷」の連載も最終回を迎えています。
私生活では、2023年12月31日に妻の中村メイコさんと死別。2025年の「徹子の部屋」では、妻を亡くした寂しさや「メイコの部屋」で思い出を大切にする日常を明かしました。
映画音楽の膨大な実績だけでなく、ゴルフや家族との関係、そして長年連れ添った妻への思いも、神津善行さんという人物を理解するうえで欠かせません。94歳を迎えた現在も、これまで歩んできた人生の記憶を大切にしながら、自分なりの楽しみを持ち続けている姿が印象的です。
主な確認資料: 国立音楽大学公式略歴、週刊ゴルフダイジェストの2026年3月対談、TBS NEWS DIGの訃報、婦人公論のインタビュー、2025年10月の「徹子の部屋」関連報道。