「かのいしゅんたろう」と検索される叶井俊太郎さん。正しい読み方は「かないしゅんたろう」です。フランス映画『アメリ』を日本で大ヒットさせた映画バイヤー・宣伝プロデューサーとして知られ、『ムカデ人間』シリーズや『いかレスラー』『日本以外全部沈没』など、独自の感性が光る映画を数多く日本に紹介しました。
私生活では漫画家・倉田真由美さんと2009年に結婚。2022年に膵臓がんの余命宣告を受けた後も映画の仕事を続け、2023年には対談集『エンドロール!』を出版しました。しかし、2024年2月16日、56歳で亡くなっています。
2026年現在、叶井さんはすでに故人です。この記事では、プロフィールや経歴、映画作品一覧、倉田真由美さんとの結婚や子供、膵臓がんとの闘病、死因、そして映画業界に残した功績まで、報道や書誌情報をもとに整理します。
【読み方とプロフィール】叶井俊太郎は何者?映画業界で異彩を放った人物

叶井俊太郎は「かない・しゅんたろう」と読みます。「叶井」という名字を「かのい」と読んでしまう人もいますが、本人の読み方は「かない」です。
映画作品のクレジットやニュース記事では、映画プロデューサー、映画宣伝プロデューサー、映画バイヤーなどの肩書で紹介されてきました。
基本プロフィール- 名前:叶井俊太郎(かないしゅんたろう)
- 生年月日:1967年9月18日
- 出身地:東京都
- 職業:映画プロデューサー、映画宣伝プロデューサー、映画バイヤー
- 妻:倉田真由美(漫画家)
- 結婚:2009年9月
- 代表的な仕事:『アメリ』『ムカデ人間』『いかレスラー』『日本以外全部沈没』など
- 死去:2024年2月16日
- 享年:56歳
オリコンニュースや婦人公論.jpの人物紹介でも、叶井さんは『アメリ』のバイヤーとして知られる映画プロデューサーと紹介されています。
特徴的なのは、一般的な映画プロデューサーのイメージとは少し異なる仕事の幅です。海外作品の買い付け、日本国内での配給、宣伝、さらには日本映画の企画・プロデュースまで担当していました。
作品のジャンルも幅広く、恋愛映画からホラー、スプラッター、奇抜なコメディまで、メジャー配給会社が積極的には扱わないような作品にも目を向けていました。
【経歴・年表】『アメリ』の大ヒットから映画配給会社の設立まで
叶井俊太郎さんのキャリアを語るうえで重要なのは、映画を作るだけでなく、まだ日本で知られていない作品を見つけ、観客に届ける仕事をしていたことです。
1991年に映画配給会社へ入社日刊スポーツの人物紹介によると、叶井さんはラジオ局での勤務などを経て、1991年に映画配給会社へ入社しました。
翌1992年には香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』を買い付けています。一般的な商業映画とは異なる刺激の強い作品を日本に持ち込む仕事は、その後の叶井さんの個性を象徴するものになりました。
2001年『アメリ』で映画業界に大きな足跡キャリア最大の転機となったのが、フランス映画『アメリ』です。
2001年に日本公開された同作は、独特の映像表現と主人公の魅力で支持を集め、興行収入約16億円という大ヒットを記録しました。ミニシアター系作品としては異例の成功です。
叶井さんは作品の買い付けや宣伝に関わり、日本の映画ファンに新しいタイプの海外映画を届けました。
映画配給会社を設立するも、経営破綻を経験2003年にはファントム・フィルムの設立に関わり、2005年に退社。同年にはトルネード・フィルムを設立して代表を務めました。
しかし、映画配給事業は経営面で苦戦し、同社は2010年に破産を申請。報道によると負債総額は約3億円でした。
この経験は、映画を見る目や宣伝の才能だけでは配給会社の経営を維持できないという、映画ビジネスの厳しさも示しています。
2019年以降はサイゾーの映画事業でも活動その後も映画業界で活動を続け、2019年にはサイゾーに移り、映画配給レーベル「エクストリーム」の宣伝プロデューサーを務めました。
経営上の失敗を経験しても映画の現場から離れず、独自の作品選びと宣伝活動を続けた点が、叶井さんのキャリアの特徴です。
主な経歴を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事・活動 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1967年 | 東京都で誕生 | 9月18日生まれ |
| 1991年 | 映画配給会社に入社 | 映画業界でのキャリアを開始 |
| 1992年 | 香港映画を買い付け | 『八仙飯店之人肉饅頭』 |
| 2001年 | 『アメリ』の買い付け・宣伝 | 興行収入約16億円のヒット |
| 2003年 | ファントム・フィルム設立に関わる | 映画配給事業を展開 |
| 2005年 | トルネード・フィルム設立 | 代表として映画事業を推進 |
| 2010年 | トルネード・フィルムが破産申請 | 経営上の大きな転機 |
| 2019年 | サイゾーに移籍 | 映画配給レーベルの宣伝を担当 |
| 2022年6月 | 膵臓がんと診断 | 余命半年の宣告を受ける |
| 2023年11月 | 『エンドロール!』刊行 | 文化人15人との対談集 |
| 2024年2月16日 | 東京都内の自宅で死去 | 56歳 |
※経歴は日刊スポーツ、オリコンニュース、映画ナタリーなどの人物紹介・訃報をもとに整理しています。
【映画作品一覧】『アメリ』『ムカデ人間』など叶井俊太郎の代表作と功績
叶井俊太郎さんの映画作品を調べる際に知っておきたいのが、すべての作品で同じ役割を担っていたわけではないという点です。
海外映画の買い付け・配給・宣伝と、日本映画の企画・プロデュースは、それぞれ異なる仕事です。代表作を役割別に整理すると、映画業界における叶井さんの仕事が見えてきます。
『アメリ』:日本の観客に届けた最大級のヒット作フランス映画『アメリ』は、2001年11月に日本公開された作品です。
主人公アメリの日常や空想を独特の映像表現で描いたこの映画は、日本でも幅広い層から支持されました。興行収入は約16億円に達し、ミニシアター系映画の大ヒットとして知られています。
叶井さんの功績は、映画そのものを制作したことではなく、作品の可能性を見抜いて日本での買い付けや宣伝に関わったことです。
映画の知名度が低い段階で作品を見つけ、観客に魅力を伝え、興行につなげる。映画バイヤーや宣伝プロデューサーの仕事が大きな成果を生み出した代表例といえます。
『ムカデ人間』:過激なジャンル映画を日本に紹介もう一つの代表的な仕事が、オランダ発のホラー映画『ムカデ人間』シリーズです。
身体をつなげるという極端な設定で世界的な話題を呼んだ作品で、日本でもカルト的な人気を集めました。
この作品に象徴されるように、叶井さんは一般的な映画会社が扱いにくいホラーやスプラッター作品にも積極的でした。
単に刺激の強い映画を集めたというだけではありません。日本の既存の映画市場では見つけにくい作品を紹介し、特定のジャンルを好む観客に選択肢を提供した点が特徴です。
『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などの企画・プロデュース叶井さんは海外映画の配給だけでなく、日本映画の企画・プロデュースにも携わりました。
- 『いかレスラー』(2004年):河崎実監督による異色のコメディ映画。
- 『ヅラ刑事』(2006年):奇抜な設定を前面に出したコメディ作品。
- 『日本以外全部沈没』(2006年):小松左京の作品をもとにした風刺コメディ。
- 『コアラ課長』(2006年):河崎実監督によるユニークな企画作品。
- 『恐解釈 桃太郎』(2023年):晩年に携わったホラー作品。
- 『恐解釈 花咲か爺さん』(2023年):昔話を題材にしたホラー作品。
- 『三茶のポルターガイスト』(2023年):プロデューサーとして関わったドキュメンタリー作品。
- 『真・事故物件 本当に怖い住民たち』(2022年):ホラー作品のプロデュースを担当。
このほか、『八仙飯店之人肉饅頭』『ネクロマンティック』『キラーコンドーム』『えびボクサー』『キラーカブトガニ』などの海外作品にも、買い付けや配給・宣伝の面で関わりました。
映画.comの関連作品情報にも、企画・プロデュース・製作など複数の立場で携わった作品が掲載されています。
映画プロデューサーとしての本当の功績叶井さんの功績を『アメリ』の興行収入だけで評価するのは十分ではありません。
映画産業では、作品を制作する人だけでなく、海外から作品を探し、権利を買い付け、日本の観客に向けた宣伝を行う人も欠かせません。
特にインディーズ映画やジャンル映画は、作品の存在を知ってもらうこと自体が大きな課題です。叶井さんは、その課題に対して独自の選択眼と宣伝力で取り組んできました。
『アメリ』のような幅広い観客に届く作品と、『ムカデ人間』のような強烈な個性を持つ作品。その両方を扱ったことが、叶井俊太郎という映画人の独自性を形作っています。
【家族・結婚】妻は倉田真由美!子供は娘が1人
叶井俊太郎さんの妻は、漫画『だめんず・うぉ〜か〜』などで知られる漫画家の倉田真由美さんです。
2人は2009年9月に結婚しました。叶井さんにとっては4度目の結婚だったことも、当時の報道で紹介されています。
倉田真由美との出会いと結婚倉田真由美さんは、恋愛や男女関係を題材にした漫画やエッセーで知られる人物です。
2009年9月に入籍した2人は、結婚後もテレビやメディアで夫婦として紹介されました。
2010年には叶井さんが代表を務めていたトルネード・フィルムの経営破綻が報じられましたが、倉田さんは夫との関係を続けました。
経営面での困難や病気など、夫婦にはさまざまな出来事がありました。倉田さんは晩年の叶井さんの病状についても自身の発信や介護に関する連載を通じて伝えていました。
叶井俊太郎の子供は何人?報道で確認できるのは、倉田真由美さんとの間に生まれた娘が1人いることです。
日刊スポーツの2024年2月の報道では、娘は当時中学2年生と紹介されていました。叶井さんが亡くなった時点で、思春期の娘を育てる父親でもありました。
叶井さんは生前のインタビューで、娘の生活についても語っています。映画の仕事に打ち込みながら、家庭では父親としての時間を持っていたことがうかがえます。
なお、倉田さん自身の家族構成と叶井さんとの間に生まれた子供の情報は区別して理解する必要があります。叶井さんと倉田さんの間の子供について、報道で明確に確認できるのは娘です。
妻が伝えた夫の最期と家族への思い叶井さんの死去後、倉田さんは2024年2月27日に自身の公式Xで夫の死を報告しました。
その投稿では、2月16日夜に夫が亡くなったこと、最期を見届けたことを伝え、夫について「最高の父ちゃんでした」と振り返っています。
この言葉は、映画業界で破天荒な仕事を続けたプロデューサーとしてだけでなく、家族にとっての父親・夫としての叶井さんの姿を伝えるものでした。
【膵臓がん闘病と死因】2022年の余命宣告から2024年2月16日まで
叶井俊太郎さんの晩年を語るうえで避けて通れないのが、膵臓がんとの闘病です。
2022年6月に病気が判明し、医師から余命半年、長くても1年程度と告げられました。その後も映画の仕事を続け、当初の余命宣告を超えて活動していました。
2022年6月にステージ3の膵臓がんと診断2023年12月の日刊スポーツのインタビューによると、叶井さんは2022年6月、黄疸が出たことをきっかけに医療機関を受診しました。
検査の結果、ステージ3の膵臓がんと診断され、余命半年、長くても1年という説明を受けたと本人が語っています。
当時、本人は体調の悪さを強く感じていなかったとも話していました。2023年10月ごろには自身の病状を公表し、末期がんであることを明らかにしています。
抗がん剤治療を選ばず、仕事を続けた理由叶井さんは、抗がん剤治療などの標準的ながん治療を受けない選択をしました。
副作用や治療に伴う負担を避け、できる限り普段の生活と映画の仕事を続けたいという考えを持っていたことが、複数のインタビューで伝えられています。
ただし、「治療を一切受けなかった」という説明は正確ではありません。
2024年6月のReal Soundによる倉田さんへのインタビューでは、胆管を通すステント処置や、十二指腸が圧迫されて食事が難しくなった際の胃と小腸をつなぐバイパス手術について説明されています。
これらは、がんそのものを治すことを目的とした標準治療とは異なり、食事や身体の苦痛を改善するための処置でした。
また、報道やインタビューでは免疫療法を受けたことも紹介されています。本人の治療選択とその経過は、個人の病状や価値観に基づくものであり、同じ選択がほかの患者にも適することを意味するものではありません。
2023年にはステージ4に進行、それでも映画の仕事を継続2023年には病状がステージ4に進行しました。
しかし、叶井さんは映画の仕事を続けました。2023年12月公開の『恐解釈 桃太郎』の宣伝やイベントにも関わり、対談集の出版も実現させています。
2024年1月にもプレジデントオンラインのインタビューに応じており、亡くなる直前まで仕事への意欲を失っていませんでした。
2024年2月16日に56歳で死去叶井俊太郎さんは、2024年2月16日午後11時ごろ、東京都内の自宅で亡くなりました。享年56歳です。
日刊スポーツや映画.comなどの報道では、膵臓がんと闘病していた経緯とともに訃報が伝えられています。
死因については、膵臓がんを患い闘病を続けた末の死去として報じられています。一方、死亡に至った直接的な合併症など、医学的な詳細は公表された報道からは確認できません。
2022年6月の余命半年という宣告から、実際には約1年8カ月にわたって生き続けたことになります。
本人は病気を公表した後も映画の仕事や対談、出版に取り組みました。闘病期間は、単に病気と向き合う時間ではなく、自分が関わってきた仕事を最後まで続ける時間でもありました。
【エンドロールの意味】晩年の著書と映画界に残したメッセージ
叶井俊太郎さんの晩年を象徴する作品として知られているのが、2023年11月に刊行された著書『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』です。
『エンドロール!』はどんな本?同書は、叶井さんと文化人15人による対談集です。
映画プロデューサーの鈴木敏夫さんや奥山和由さん、映画監督の河崎実さん、清水崇さん、作家の中村うさぎさんなど、さまざまな分野の人物が参加しています。
単に末期がん患者の闘病記という構成ではありません。死を意識した人間が、仕事や人生、表現、価値観についてどのように考えるのかを、対談を通じて掘り下げた一冊です。
書誌情報は国立情報学研究所のCiNii Booksにも登録されています。書名の「エンドロール」は映画の最後に流れるクレジットを意味し、映画人生を歩んできた叶井さんらしいタイトルです。
『恐解釈 桃太郎』のエンドロールに込められたものもう一つ注目されたのが、2023年12月8日公開の映画『恐解釈 桃太郎』です。
同作のエンドロールには、「叶井俊太郎に捧ぐ」というクレジットが入れられました。
映画.comのインタビューやシネマトゥデイの報道によると、このクレジットは叶井さん自身が病気の進行を意識していた時期に入れたものです。
映画のエンドロールは、作品に関わった人々の名前を記録する場所です。そこに自分自身への献辞を入れるという行為には、映画人としての人生を見つめる叶井さん独特の感覚が表れています。
また、叶井さんが関わった作品に同様のクレジットを入れていく考えも、当時のインタビューで紹介されていました。
2026年現在も語り継がれる映画プロデューサーとしての存在2026年現在、叶井さん本人は亡くなっていますが、携わった映画作品や著書、過去のインタビューは残されています。
2025年にはDOMMUNEなどによる一周忌のメモリアル企画も行われ、映画人としての活動を振り返る機会が設けられました。
叶井さんのキャリアは、必ずしも成功だけで構成されていたわけではありません。ヒット作を生み出した一方、配給会社の経営破綻も経験しています。
それでも、メジャー作品だけに依存せず、海外の異色映画や日本独自のジャンル映画を紹介し続けたことは、映画市場における一つの重要な役割でした。
作品を作る人と観客の間には、作品を発見し、買い付け、宣伝する人がいます。叶井さんは、その橋渡しを独自の感性で担っていた映画人だったのです。
【よくある質問】叶井俊太郎に関するFAQ
Q1:叶井俊太郎の読み方は「かのいしゅんたろう」ですか?
A1:いいえ。正しくは「かないしゅんたろう」です。「叶井」を「かない」と読みます。
Q2:叶井俊太郎は現在2026年も存命ですか?
A2:いいえ。2024年2月16日に56歳で亡くなっています。膵臓がんで闘病していました。
Q3:叶井俊太郎の死因は何ですか?
A3:膵臓がんで闘病していた末の死去と報じられています。2022年6月にステージ3と診断され、その後ステージ4に進行しました。
Q4:叶井俊太郎の妻は誰ですか?
A4:漫画家の倉田真由美さんです。2009年9月に結婚しました。
Q5:叶井俊太郎に子供はいますか?
A5:倉田真由美さんとの間に娘が1人います。2024年2月の報道では中学2年生でした。
Q6:叶井俊太郎が関わった代表的な映画は何ですか?
A6:『アメリ』『ムカデ人間』シリーズ、『八仙飯店之人肉饅頭』『えびボクサー』『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』などです。作品によって買い付け・配給・宣伝・企画・プロデュースと担当した役割は異なります。
Q7:『エンドロール!』とは何ですか?
A7:2023年11月に刊行された叶井俊太郎さんの対談集です。末期がんの宣告を受けた叶井さんが、文化人15人と余命や人生について語り合った内容です。
【プロの結論】叶井俊太郎が映画業界に残したものとは
叶井俊太郎さんは、『アメリ』の買い付けと宣伝によって日本の映画市場に大きな成功をもたらし、『ムカデ人間』シリーズのような個性的な作品も紹介してきた映画プロデューサーです。
その仕事は、一般的な映画の制作や興行という枠に収まりません。海外作品の発掘、配給、宣伝、日本映画の企画・プロデュースまで、映画が観客に届くまでのさまざまな工程に関わっていました。
一方で、会社経営の失敗や膵臓がんの闘病など、波乱に満ちた人生でもありました。2022年6月に余命半年と告げられながらも、2023年には対談集を出版し、最後まで映画の仕事を続けた姿は、多くの人に強い印象を残しています。
叶井俊太郎という人物を理解するうえで押さえたい要点は、次の3つです。
- 映画の発掘者:『アメリ』を日本でヒットさせ、海外の個性的な映画を観客に紹介した。
- 異色のプロデューサー:ジャンルや規模にとらわれず、独自の企画・配給・宣伝に取り組んだ。
- 最後まで映画人だった人物:膵臓がんの余命宣告後も仕事を続け、『エンドロール!』という著書を残した。
2026年現在、叶井さんの新しい活動や本人からの発信はありません。しかし、『アメリ』や『ムカデ人間』をはじめとする作品、映画のエンドロールに刻まれた名前、そして生前の言葉は残っています。
「かのいしゅんたろう」という検索から叶井俊太郎さんを知った人にとって、まず覚えておきたいのは正しい読み方が「かないしゅんたろう」であること。そして、単なる映画プロデューサーではなく、日本の映画ファンに多彩な作品との出会いを届けた映画バイヤー・宣伝人でもあったという事実です。
その独自の映画選びと仕事への姿勢こそが、叶井俊太郎さんが映画業界に残した大きな足跡です。
主な参照資料: オリコンニュース、日刊スポーツ、映画ナタリー、映画.com、シネマトゥデイ、Real Sound、CiNii Books、倉田真由美さんの公式Xに関する報道。