「肥後ノ海」と検索すると、元幕内力士の肥後ノ海直哉と、木瀬部屋に所属する現役力士の肥後ノ海太郎という、2人の名前が見つかります。実は、どちらも日本相撲協会に登録された実在の力士であり、同じ四股名を受け継いでいます。しかし、本名も生年月日も現役時代の成績も異なる別人です。
元肥後ノ海直哉は、本名・坂本直人。最高位は前頭筆頭で、通算407勝476敗80休、横綱の曙と貴乃花から金星を獲得した実績を持ちます。2002年11月場所で引退した後は木瀬親方として後進を指導し、木瀬部屋の師匠を務めています。
一方、肥後ノ海太郎は、本名・井上知洋。2015年3月場所で初土俵を踏んだ現役力士です。さらに2025年12月には木瀬部屋で暴力問題が発覚し、師匠の木瀬親方が2階級降格処分を受けたことも報じられました。2026年11月現在の両者の状況と、名前が混同される理由を日本相撲協会の公式プロフィールや報道資料から整理します。
【まず結論】肥後ノ海は直哉と太郎の2人!読み方とプロフィールの違い

肥後ノ海の読み方は「ひごのうみ」です。「肥後」は熊本県の旧国名であり、熊本県出身の力士にふさわしい四股名として使われています。
検索結果で混同されやすい理由は、元力士の四股名が現役力士にも使われていること、そして両者が木瀬部屋という同じ相撲部屋でつながっていることにあります。
元前頭筆頭・肥後ノ海直哉とは?肥後ノ海直哉は、1969年9月23日生まれ、熊本県熊本市出身の元力士です。本名は坂本直人。日本相撲協会の公式プロフィールでは、初土俵は1992年1月場所、所属部屋は三保ヶ関、最高位は前頭筆頭と記録されています。
現役時代は左四つと寄りを得意とし、1993年3月場所で新入幕を果たしました。幕内で長く活躍した後、2002年11月場所を最後に引退しています。
引退後は年寄名跡の木瀬を襲名。現在は木瀬親方として知られ、木瀬部屋の師匠を務めています。
現役力士・肥後ノ海太郎とは?肥後ノ海太郎は、1999年8月17日生まれ、熊本県熊本市東区出身の力士です。本名は井上知洋。日本相撲協会の公式プロフィールによると、2015年3月場所で初土俵を踏み、当初は本名の「井上」で土俵に上がっていました。
その後、四股名を肥後ノ海に改め、現在は肥後ノ海太郎として木瀬部屋に所属しています。得意技は突き・押し・叩きで、最高位は幕下十九枚目です。
つまり、肥後ノ海直哉は引退した元幕内力士、肥後ノ海太郎は現在も番付に名を連ねる現役力士です。同じ四股名だからといって、両者の本名や戦歴を混ぜてはいけません。
【元肥後ノ海直哉のプロフィール】本名・最高位・通算成績を解説
元肥後ノ海直哉のプロフィールで特に注目されるのが、前頭筆頭という最高位と、横綱から獲得した2個の金星です。
日本相撲協会の公式プロフィールと部屋紹介に掲載されている情報を整理すると、次のようになります。
- 四股名:肥後ノ海直哉
- 読み方:ひごのうみ・なおや
- 本名:坂本直人
- 生年月日:1969年9月23日
- 出身地:熊本県熊本市
- 所属部屋:三保ヶ関部屋
- 初土俵:1992年1月場所
- 新十両:1992年7月場所
- 新入幕:1993年3月場所
- 最高位:前頭筆頭
- 引退:2002年11月場所
- 得意技:左四つ・寄り
- 通算成績:407勝476敗80休
- 金星:2個
「坂本直人」という名前を調べている人も少なくありません。これは元肥後ノ海直哉の本名です。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、しこ名の履歴も確認できます。初土俵時の四股名は「坂本山」で、その後「肥後ノ海」に改名しました。
引退後も本名ではなく、現役時代の四股名を冠した「元肥後ノ海」という呼び方で紹介されることが多く、現在の木瀬親方を知るうえでも重要な情報です。
最高位は前頭筆頭!横綱・曙と貴乃花から金星を獲得肥後ノ海直哉の最高位は前頭筆頭です。大関や横綱、三役に昇進した力士ではありませんが、幕内で上位力士と対戦し、横綱から金星を獲得した実績があります。
特筆すべきは、金星2個の相手が曙と貴乃花だったことです。
- 1995年5月場所:横綱・曙を破り、初金星を獲得。
- 1999年3月場所:横綱・貴乃花を破り、2個目の金星を獲得。
金星とは、平幕力士が横綱に勝ったときに与えられる殊勲の記録です。前頭筆頭まで番付を上げた肥後ノ海にとって、横綱との対戦は厳しい勝負の連続でした。そのなかで曙と貴乃花という時代を代表する横綱を破ったことは、現役時代を語るうえで外せない実績です。
通算407勝476敗80休の意味日本相撲協会の木瀬部屋紹介に記載されている肥後ノ海の生涯戦歴は、407勝476敗80休です。
この数字は66場所にわたる現役生活の記録です。幕内だけでも335勝417敗43休を記録しています。
勝ち星だけを見れば負け越しが多いように感じられる可能性があります。しかし、長期間にわたって幕内に在位し、上位力士との対戦を経験してきたことを考慮する必要があります。
また、金星2個は通算成績とは別の評価軸です。勝ち星の合計だけでは見えない、横綱を倒した実績を示しています。
【現役・肥後ノ海太郎】本名は井上知洋!2026年の番付と最新成績
もう一人の肥後ノ海である太郎は、木瀬部屋所属の現役力士です。元肥後ノ海直哉とは異なり、2026年も現役として土俵に立っています。
井上知洋から肥後ノ海太郎へ日本相撲協会の公式プロフィールによると、肥後ノ海太郎の本名は井上知洋。1999年8月17日生まれで、熊本県熊本市東区出身です。
初土俵は2015年3月場所。当初は本名の井上を四股名として使用していましたが、後に肥後ノ海へ改名しました。
身長182センチ、体重140.7キロで、得意技は突き・押し・叩きです。序ノ口優勝1回の実績があり、最高位は幕下十九枚目です。
2026年11月場所の番付は東三段目4枚目2026年11月現在、日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている肥後ノ海太郎の番付は東三段目4枚目です。
直近の終了場所である2026年9月場所では、東幕下51枚目で3勝4敗を記録しました。11月場所は11月8日初日のため、11月2日時点では取組開始前です。公式プロフィールには11月場所の成績が0勝0敗として掲載されています。
なお、過去の最高位は幕下十九枚目。現在の番付と過去の最高位は別の情報なので、検索時には区別する必要があります。
元肥後ノ海直哉と同じ木瀬部屋に所属肥後ノ海太郎が所属するのは、元肥後ノ海直哉が師匠を務める木瀬部屋です。
同じ熊本県出身で、同じ四股名を使用していることから、両者のつながりに関心を持つ人もいます。
ただし、公式プロフィールに記載されているのは、それぞれの本名や所属部屋、戦歴などです。親族関係を示す情報は掲載されていません。四股名と出身地が共通していることだけで血縁関係を判断することはできません。
【人物相関・経歴比較表】肥後ノ海直哉と肥後ノ海太郎の違い
2人の情報を整理すると、検索時に間違えやすいポイントが明確になります。特に本名、現役・引退の区別、所属部屋、最高位を確認が必要です。
| 比較項目 | 肥後ノ海直哉 | 肥後ノ海太郎 |
|---|---|---|
| 読み方 | ひごのうみ なおや | ひごのうみ たろう |
| 本名 | 坂本直人 | 井上知洋 |
| 生年月日 | 1969年9月23日 | 1999年8月17日 |
| 出身地 | 熊本県熊本市 | 熊本県熊本市東区 |
| 所属部屋 | 三保ヶ関部屋 | 木瀬部屋 |
| 初土俵 | 1992年1月場所 | 2015年3月場所 |
| 最高位 | 前頭筆頭 | 幕下十九枚目 |
| 主な実績 | 金星2個 | 序ノ口優勝1回 |
| 通算成績 | 407勝476敗80休 | 2026年9月場所終了時点で231勝173敗72休 |
| 現在の状況 | 引退後、木瀬部屋の師匠 | 現役力士 |
この比較で最も重要なのは、肥後ノ海直哉の本名が坂本直人、肥後ノ海太郎の本名が井上知洋という点です。
また、肥後ノ海直哉の所属部屋は現役時代の三保ヶ関部屋です。引退後に木瀬部屋を興したため、現在の木瀬部屋の師匠として紹介される際には、元肥後ノ海という肩書が使われています。
一方、太郎は現在の木瀬部屋に所属する力士です。この師弟・部屋の関係が、同じ四股名を検索した際に情報が混在する大きな理由です。
【木瀬親方の現在】元肥後ノ海直哉は何をしている?木瀬部屋の師匠としての立場
元肥後ノ海直哉は、2002年11月場所で現役を引退した後、年寄名跡の木瀬を襲名しました。その後、木瀬部屋の師匠として後進の育成に携わっています。
三保ヶ関部屋から木瀬部屋の師匠へ肥後ノ海直哉は三保ヶ関部屋に所属して現役生活を送りました。引退後は木瀬を襲名し、2003年12月に木瀬部屋を興しています。
その後、2010年には部屋の運営に大きな影響を及ぼす問題が発生しました。日本相撲協会は、2009年の名古屋場所で暴力団関係者が維持員席で観戦した問題に関連して、木瀬親方のチケット手配への関与を問題視。2010年5月に2階級降格と木瀬部屋の一門預かりを決定しました。
これにより、木瀬部屋は一時的に北の湖部屋に吸収され、所属力士たちも移籍することになりました。
2012年3月には日本相撲協会が部屋の再興を承認し、同年4月1日付で木瀬部屋が再スタートしています。
2026年現在の役職は年寄・木瀬2026年11月現在、日本相撲協会の公式サイトに掲載されている木瀬部屋の師匠は、木村瀬平(きむら・せへい)名義の年寄・木瀬です。これは元肥後ノ海直哉の現在の年寄名跡に基づく登録です。
ここで押さえておきたいのが、2025年の処分後の役職です。木瀬親方は、従来の委員から年寄への2階級降格処分を受けています。2026年の公式部屋紹介でも年寄として掲載されており、師匠の立場は継続しています。
つまり、2025年の処分によって木瀬部屋の師匠を退任したわけではありません。部屋の責任者としての立場と、協会内での年寄の役職・待遇は分けて理解する必要があります。
【2025年の木瀬部屋暴力問題】木瀬親方の降格処分と事件の経緯
2025年12月25日、日本相撲協会は木瀬部屋の幕下以下の力士による暴力問題について、関係者への処分を発表しました。
報道各社が共同通信などの情報を基に伝えた内容によると、問題が発生したのは2025年11月7日です。幕下以下の力士Aが、同部屋の幕下以下の力士Bに現金を盗まれたことに腹を立て、Bの顔面を5~6回殴打したとされています。
2025年11月7日に発生した部屋内の暴力行為今回の問題は、力士同士の金銭トラブルをきっかけとした暴力行為でした。
報道によると、被害を受けた力士には両目付近にあざができるなどのけががあり、11月場所を休場しました。また、過去にも暴力行為を目撃したという証言があり、コンプライアンス委員会は行為の常習性を認定しています。
なお、現金を盗んだとされる行為と、その後の暴力行為は別々に考える必要があります。金銭トラブルがあったとしても、暴力行為が正当化されるわけではありません。
12月25日に木瀬親方へ2階級降格処分日本相撲協会は2025年12月25日に臨時理事会を開き、木瀬親方に対して委員から年寄への2階級降格処分を決定しました。
今回の処分では、暴力を振るった力士本人も懲戒処分の対象となり、出場停止2場所相当と判断されました。ただし、本人が引退届を提出し、協会がこれを受理したため、現役を退く形となりました。
コンプライアンス委員会の判断について、報道では次の表現が伝えられています。
「常習性があったものと認定せざるを得ない」
また、木瀬親方については、師匠としての監督義務違反と協会への報告義務違反が問題視されました。部屋の責任者として、所属力士の行動を管理する立場にあったことが処分の背景にあります。
過去にも処分歴があったことが厳罰につながった2025年の処分を理解するうえでは、2010年の問題も重要です。
2010年には、暴力団関係者への大相撲観戦チケットの手配問題に関連して、木瀬親方が2階級降格となり、木瀬部屋も一時的に閉鎖されました。2012年に部屋は再興されています。
今回の2025年の問題は、2010年のチケット手配問題とは内容が異なります。2010年は暴力団関係者の観戦に関する問題、2025年は部屋所属力士による暴力行為と師匠の監督責任が問われた問題です。
異なる事案であるものの、師匠が再び厳しい処分を受けたことから、相撲部屋の管理体制や再発防止策にも関心が集まりました。
2026年の木瀬部屋はどうなっている?2026年の日本相撲協会公式サイトでは、木瀬部屋は引き続き紹介されており、師匠は年寄・木瀬として掲載されています。
2026年10月の佐賀県基山町での木瀬部屋の活動に関する報道でも、木瀬親方が部屋の師匠として町役場を訪問したことが伝えられています。九州場所に向けた稽古や宿舎の準備など、部屋としての活動も続いています。
このことから、2025年の処分後も木瀬部屋が存続し、木瀬親方が師匠として活動していることが確認できます。ただし、部屋が存続していることと、協会内での処分が取り消されたことは同じではありません。
【プロの結論】肥後ノ海を調べるときに押さえたい3つの判断基準
肥後ノ海という名前を正確に理解するには、四股名だけでなく、本名・所属部屋・現役か引退済みかという3つの情報を組み合わせることが大切です。
1. 本名で人物を特定する最も確実なのは本名の確認です。
- 坂本直人なら元前頭筆頭の肥後ノ海直哉。
- 井上知洋なら現役力士の肥後ノ海太郎。
特に木瀬親方のニュースを読む場合は、坂本直人という本名を手掛かりにすると人物を特定しやすくなります。
2. 番付と引退時期を区別する肥後ノ海直哉は2002年11月場所で引退しています。2026年の現役番付に名前が載ることはありません。
一方、肥後ノ海太郎は2026年11月場所の番付に東三段目4枚目として掲載されています。現役力士の最新成績を調べるなら、太郎のプロフィールを確認する必要があります。
3. 処分報道と現在の役職を混同しない2025年の降格処分に関する記事を読む場合は、処分を受けた人物が木瀬親方であること、そして暴力行為を行ったのは部屋所属の別の力士であることを区別する必要があります。
木瀬親方自身が2025年の暴力行為を行ったという意味ではありません。問題となったのは、所属力士の暴力行為に対する師匠の監督責任と報告義務です。
また、2010年の処分と2025年の処分も別の事案です。両者を一つの事件として扱うと、木瀬部屋の経緯を正確に理解できなくなります。
人物の経歴を知りたい場合は日本相撲協会の力士プロフィール、部屋の現在を知りたい場合は公式の相撲部屋紹介、処分の経緯を知りたい場合は協会発表を伝えた共同通信やスポーツ各紙の報道を確認するのが適切です。
【肥後ノ海に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:肥後ノ海の読み方は何ですか?
A1:肥後ノ海は「ひごのうみ」と読みます。元前頭筆頭の肥後ノ海直哉は「ひごのうみ・なおや」、現役力士の肥後ノ海太郎は「ひごのうみ・たろう」です。
Q2:肥後ノ海直哉の本名は坂本直人ですか?
A2:はい。日本相撲協会の公式プロフィールでも、本名は坂本直人と記載されています。最高位は前頭筆頭で、2002年11月場所に引退しました。
Q3:肥後ノ海太郎の本名は何ですか?
A3:井上知洋です。1999年8月17日生まれ、熊本県熊本市東区出身で、木瀬部屋に所属する現役力士です。
Q4:肥後ノ海直哉の最高位と通算成績は?
A4:最高位は前頭筆頭です。通算成績は407勝476敗80休で、曙と貴乃花からそれぞれ金星を獲得し、合計2個の金星を記録しています。
Q5:木瀬親方は現在も木瀬部屋の師匠ですか?
A5:はい。2026年11月現在、日本相撲協会の公式部屋紹介では、年寄・木瀬が木瀬部屋の師匠として掲載されています。2025年12月に委員から年寄への2階級降格処分を受けています。
Q6:2025年の木瀬部屋の暴力問題で引退したのは誰ですか?
A6:木瀬部屋の幕下以下の力士です。2025年11月に同部屋の力士に暴力を振るい、12月25日に引退届が受理されました。日本相撲協会は出場停止2場所相当の事案と判断しています。
Q7:肥後ノ海直哉と肥後ノ海太郎は親子ですか?
A7:日本相撲協会の公式プロフィールには親子関係を示す記載はありません。両者は別人で、本名も生年月日も異なります。共通しているのは肥後ノ海という四股名と熊本県出身という点です。
肥後ノ海という名前には、元前頭筆頭の肥後ノ海直哉と、現役力士の肥後ノ海太郎という2人の人物が関係しています。
肥後ノ海直哉は本名・坂本直人。三保ヶ関部屋で活躍し、最高位は前頭筆頭、通算407勝476敗80休、曙と貴乃花から金星を獲得した元力士です。2002年11月場所で引退した後は木瀬親方となり、木瀬部屋の師匠を務めています。
一方、肥後ノ海太郎は本名・井上知洋。2015年3月場所で初土俵を踏み、2026年11月場所では東三段目4枚目に番付されています。
加えて、木瀬親方については2025年12月25日に部屋所属力士の暴力問題を受け、委員から年寄への2階級降格処分が決定しました。2026年現在も日本相撲協会の公式情報では木瀬部屋の師匠として掲載されています。
肥後ノ海を調べる際には、直哉と太郎の本名を最初に確認することが、情報を取り違えないための最も確実な方法です。現役時代の相撲成績、引退後の親方としての歩み、そして木瀬部屋をめぐる問題をそれぞれ分けて見ることで、肥後ノ海という四股名の歴史と2026年現在の状況が明確になります。
主な参照資料
- 日本相撲協会「肥後ノ海直哉 力士プロフィール」
- 日本相撲協会「肥後ノ海太郎 力士プロフィール」
- 日本相撲協会「木瀬部屋 相撲部屋紹介」
- 共同通信配信記事(2025年12月25日)
- 日刊スポーツ(2025年12月25日)
- スポーツニッポン(2025年12月26日)
- SAGA SSP(2026年10月11日)