1968年12月21日、警視庁が公開した三億円事件のモンタージュ写真。白いヘルメットをかぶり、鋭い目つきをした男の顔は、昭和を代表する未解決事件の象徴として全国に知られるようになった。しかし、この写真には、長年にわたって疑問が指摘されてきた。実は、複数の目撃証言から顔のパーツを組み合わせたものではなく、事件とは無関係の実在男性の写真をほぼそのまま使用したという報道が存在するのだ。
事件から50年以上が経過した2026年には、NHKの「未解決事件 File.10 三億円事件」が新たな捜査資料や関係者の証言を取り上げた。銀行員4人の目撃証言、少年Sの容疑者説、捜査に加わった平塚八兵衛、そしてモンタージュ写真のモデルとなった男性の謎。公開日から写真の信頼性が疑われるまでの経緯をたどると、未解決の背景にあった捜査の問題点が浮かび上がる。
【事件から11日後】三億円事件モンタージュ写真の公開日は1968年12月21日

三億円事件が発生したのは、1968年(昭和43年)12月10日午前9時20分ごろ。東京都府中市の路上で、白バイ警官に扮した男が現金輸送車を奪い、約3億円の現金を持ち去った。
正確な被害額は2億9430万7500円。日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場の従業員に支給するボーナスを輸送していた際に起きた事件だった。
犯人は警察官のような服装で現金輸送車を停止させ、車両に爆発物が仕掛けられているという趣旨の説明をして銀行員を車外に誘導。その後、輸送車ごと逃走した。犯行に要した時間はわずか約3分だった。
警察は事件直後から大規模な捜査を開始。現場に残された遺留品や目撃者の証言を分析し、犯人の姿を再現したモンタージュ写真の作成を進めた。
そして、事件発生から11日後の1968年12月21日、犯人の顔としてモンタージュ写真が公開された。この日付はフジテレビが公開している三億円事件の年表にも記録されている。
白いヘルメットをかぶった若い男性の顔は、新聞やテレビなどを通じて広く知られるようになった。多くの人が写真の男を犯人そのものだと受け止め、警察の公開手配によって事件が解決に向かうとの期待も高まった。
ところが、後年の取材で問題視されたのは、写真が実際の犯人の顔をどこまで正確に反映していたのかという点だった。写真が全国に広まったことと、その写真の人物が真犯人の特徴を正しく表していたことは、まったく別の問題だったのである。
【写真の正体】銀行員4人の目撃証言と実在人物の写真説を検証
三億円事件のモンタージュ写真を理解するうえで欠かせないのが、現金輸送車に乗っていた銀行員4人の証言だ。
銀行員4人は犯人の顔をどこまで見ていたのか事件当日、現金輸送車には4人の銀行員が乗車していた。彼らは偽の白バイに乗った男と直接接触したため、当初から重要な目撃者として扱われた。
しかし、犯人は白いヘルメットとマスクを着用していた。さらに事件当日は激しい雨が降っていた。フジテレビの関連番組でも、事件当時の降雨状況や、銀行員以外にも目撃者が存在した可能性が取り上げられている。
この状況では、犯人の顔全体を鮮明に観察できたとは限らない。目や眉、顔の輪郭など、限られた特徴を記憶から再現することには難しさがあった。
また、4人の証言がどのような手順で整理され、写真の各部分に反映されたのかについても、後年さまざまな疑問が提起された。
モンタージュ写真は実在する男性の顔だったのか三億円事件の写真について、特に大きな注目を集めているのが、実在人物の写真を流用したという説だ。
テレビ東京の2021年の取材記事では、長年事件を追ってきたジャーナリストの近藤昭二氏が、公開された写真は一般的な意味でのモンタージュではなく、実在する男性の写真だったと指摘している。
加えて、2026年のNHK「未解決事件 File.10 三億円事件」に関する放送記録でも、時効成立から約5年後に、事件と無関係の男性の写真がそのまま使用されたと報じられた経緯が紹介されている。
この男性は事件前年に不慮の事故で亡くなっていたとされる。写真の使用経緯について、遺族には説明がなかったという内容も番組の放送記録に残されている。
つまり、写真の正体をめぐる要点は、少年S本人の写真がそのまま公開されたという単純な話ではないことだ。後年の取材報道によれば、Sに似ているとされた別の実在男性の写真が使われたというのである。
通常のモンタージュ写真との違い一般的なモンタージュ写真は、目撃者が記憶している顔の特徴を参考に、複数の顔写真の要素を組み合わせて人物像を再構成する手法だ。
しかし、三億円事件の写真について伝えられているのは、実在男性の顔を土台として、ヘルメットやマスクなどを組み合わせたという内容である。
この説が事実であれば、目撃者の記憶から独立した犯人像を作るという本来の目的から離れ、特定の人物の顔に強く引きずられた画像が公開されたことになる。
なお、写真を選んだ人物や具体的な作成指示、採用の理由については、公開情報だけでは全容が判明していない。少年Sの容疑者説と、実在男性の写真が使われたという問題は、関連しているものの、分けて考える必要がある。
【少年S容疑者説】銀行員4人の証言から浮上した19歳の少年
モンタージュ写真の謎と切り離せないのが、事件直後に捜査線上へ浮上した少年Sの存在だ。
少年Sは当時19歳。警察官の息子で、地元の非行グループとの関係も指摘されていた人物だった。事件の手口と似た行動を仲間が起こしていたことなどから、捜査関係者の関心を集めた。
銀行員4人の証言と少年Sの浮上後年の取材報道によると、銀行員4人は犯人の顔が少年Sに似ているという趣旨の証言をしたとされる。
この証言が、少年Sを有力な捜査対象として扱う流れにつながった。そして、Sの顔に似た実在男性の写真がモンタージュ写真に使用されたという説も生まれた。
ただし、ここで注意したいのは、銀行員が「似ている」と証言したことと、少年Sが犯人だったことは同義ではないという点だ。
事件当日の目撃条件は厳しく、犯人の顔はヘルメットやマスクで隠されていた。写真を提示された後の人物識別についても、記憶と先入観の影響を受ける可能性がある。
事件直後に亡くなった少年S文春オンラインが2026年3月に掲載した記事によれば、少年Sは警察が自宅を訪れた後、青酸カリを服用して亡くなったとされる。死亡時期は事件発生から数日後の1968年12月15日深夜と紹介されている。
この出来事は、事件をめぐるさまざまな推理を生み出す要因になった。捜査線上に浮上していた少年が突然亡くなったため、事件との関係を疑う見方が長く残ったのである。
しかし、自殺したという事実だけで三億円事件の犯人だったと判断することはできない。事件への関与を裏付ける決定的な証拠が公に示されたわけではないからだ。
平塚八兵衛は少年Sをどう判断したのか事件発生から約4カ月後の1969年4月24日、警視庁捜査一課の平塚八兵衛が捜査に加わった。
平塚は数々の重大事件を担当した刑事として知られ、三億円事件でも、それまでの捜査を見直す姿勢を取った。
文春オンラインの2026年の記事では、平塚は少年Sをシロと判断したと紹介されている。Sが亡くなったことで犯人説が消えたわけではないが、警察の捜査上では犯人と認定されなかったという重要な点がある。
したがって、少年Sを真犯人と断定する説は、あくまで未解決事件をめぐる仮説の一つである。父親の職業や死亡の経緯、銀行員の証言だけで事件の実行犯だったと結論づけることはできない。
【事件の全経緯】モンタージュ公開から1975年の公訴時効までの年表
モンタージュ写真の意味を正確に理解するには、事件発生から写真の撤回、そして公訴時効までの流れを整理する必要がある。以下は、フジテレビの事件年表、文春オンライン、新潮QUE、2026年のNHK関連報道などをもとにした経緯だ。
| 時期・年月日 | 出来事・関係人物 | 確認できる内容と意味 |
|---|---|---|
| 1968年12月10日 | 三億円事件発生 | 府中市で現金輸送車から2億9430万7500円が奪われる。銀行員4人が乗車していた。 |
| 1968年12月15日ごろ | 少年Sの死亡 | 19歳の少年Sが青酸カリを服用して死亡したと後年の報道で紹介されている。 |
| 1968年12月21日 | モンタージュ写真公開 | 事件から11日後に犯人の顔として写真が公開される。 |
| 1969年4月9日 | 逃走用車両など発見 | 現金輸送車から移された現金のケースなどが入っていた車両が団地で発見された。 |
| 1969年4月24日 | 平塚八兵衛が捜査に参加 | 捜査の見直しに着手。少年Sについてもシロと判断したと後年の報道で紹介されている。 |
| 1974年12月 | モンタージュ写真の破棄 | 写真の信頼性への疑問から正式に破棄されたと報じられている。 |
| 1975年12月10日 | 公訴時効成立 | 事件発生から7年が経過。犯人を特定できないまま未解決となった。 |
| 1980年前後 | 実在男性の写真説が報道される | 時効成立から約5年後、事件と無関係の男性の写真が使用されたという報道が紹介されている。 |
| 2026年1月10日 | NHK「未解決事件 File.10 三億円事件」 | 新たな捜査資料、関係者の証言、当時高校生だった女性の初証言などを取り上げた。 |
この年表で特に注目したいのは、モンタージュ写真が1974年12月には正式に破棄されたとされる点だ。
公開時には犯人の顔として広く認識された写真だったが、事件から6年が経過するころには、その信頼性自体が問題になっていた。つまり、長年にわたって社会に流通した画像が、警察の捜査上ではすでに有効な犯人像として扱われなくなっていたのである。
また、写真の破棄と公訴時効成立は別の出来事だ。写真を撤回しても犯人が見つかったわけではなく、捜査はその後も続いたものの、1975年に時効を迎えることになった。
【警視庁の捜査経緯】平塚八兵衛が指摘した初動捜査の問題点
三億円事件の捜査は、決して小規模なものではなかった。NHK関連の番組紹介や報道によれば、捜査員は延べ約17万人、捜査対象者は約12万人に達したとされる。
それだけの人員と時間を投入しながら犯人を特定できなかった背景には、捜査の方向性や情報共有をめぐる問題があった。
捜査の初期段階で銀行・工場関係者に注目事件直後、警察は現金輸送車の運行ルートや日時を把握していた人物に注目した。輸送車が一見すると普通の乗用車であり、特定の工場のボーナスを運んでいたことから、銀行や東芝府中工場の内部事情を知る人物が捜査対象になった。
一方、犯行に使用された車両や関連する遺留品が複数見つかっても、それだけでは犯人の特定に至らなかった。一般に流通する物品や盗難品も含まれていたため、所有者を追跡するだけでは決定的な証拠につながらなかったのである。
平塚八兵衛が語った大規模捜査の落とし穴新潮QUEが2026年5月に再構成した記事では、1972年9月2日号の「週刊新潮」に掲載された平塚八兵衛の証言が紹介されている。
平塚は、大規模事件では複数の捜査班が動くことで、情報交換や細かな確認が不十分になりやすいと考えていた。
「大きなヤマでは捜査が“浮く”」
平塚が問題視したのは、事件の規模が大きくなり、社会的な注目が集まるほど、捜査員が個々の証言や事実を丁寧に確認する作業が難しくなることだった。
警察内部の連携だけでなく、報道競争や世論の期待も捜査に影響する。早期解決への期待が強まると、最初に浮上した容疑者や有力とされた仮説に注意が集中し、別の可能性を検証する余裕が失われる危険がある。
この指摘は、少年Sの容疑者説やモンタージュ写真の信頼性を考えるうえでも重要だ。初期に形成された犯人像が、その後の情報収集や人物評価に影響した可能性を考える必要がある。
もちろん、初動捜査の問題だけで未解決の原因すべてを説明することはできない。しかし、膨大な捜査体制が必ずしも質の高い情報分析につながるとは限らないという教訓は、事件から半世紀以上が経過した今も重い。
【2026年NHK未解決事件】新証言と捜査資料から見えたモンタージュの問題
2026年1月10日、NHK総合で「未解決事件 File.10 三億円事件」が放送された。時効成立から50年を迎えた節目に、事件を改めて検証した番組である。
NHKの公式番組紹介によれば、取材班は捜査に関する膨大な資料を入手し、180人以上の関係者に取材を試みた。対象には当時の捜査員や報道記者なども含まれていた。
当時の女子高校生が初めて証言2026年の取材で大きな注目を集めたのが、事件当時、高校生だった女性の証言だ。
この女性は犯行現場の一部始終を目撃していた人物で、NHKの取材に初めて応じた。白バイへの違和感、警官姿の犯人が発した言葉、犯人の姿などについて証言したと、MANTANWEBやクランクイン!が報じている。
この証言が重要なのは、銀行員4人だけが現場を見ていたという従来の認識を見直すきっかけになることだ。
犯人の姿を観察できた人物がほかにもいたのであれば、モンタージュ写真の作成時に、どの目撃情報が採用され、どの証言が十分に生かされなかったのかという問題が浮上する。
約20キロ離れた場所で見つかっていた偽白バイの重要証言NHKの再検証でもう一つ重要なのが、現場から約20キロ離れた場所で得られていた偽白バイに関する目撃情報だ。
番組の事前紹介によれば、犯行に使用されたとみられる偽白バイについて、複数の重要証言が存在していたにもかかわらず、捜査本部では十分に生かされなかった。
事件現場の目撃情報だけでなく、犯行に使われた可能性のある車両を別の場所で見た人物の証言も捜査上の手がかりになり得る。こうした情報を関連づけて検証できていれば、犯人像や犯行前後の行動について異なる見方が生まれた可能性もある。
モンタージュ写真をめぐる新たな問題2026年のNHK関連放送記録では、モンタージュ写真についても、時効成立から約5年後に事件と無関係の男性の写真がそのまま使用されたと報道された経緯が取り上げられている。
その男性は事件前年に事故で亡くなっていたとされ、写真が使用された事情は遺族に説明されていなかったという。
この問題は、単にモンタージュ写真の作成方法が通常と違っていたという話にとどまらない。犯人と無関係の人物の顔が、長期間にわたって犯罪の象徴として社会に認識されていた可能性があるからだ。
ただし、2026年の番組によって真犯人が判明したわけではない。写真が使われた経緯や意思決定の全容、実行犯の身元など、依然として明らかになっていない点は多い。
NHKの再検証が示したのは、事件の謎を一つの容疑者説に集約することの危うさと、これまで十分に検証されてこなかった資料や証言を見直す必要性だった。
【プロの結論】三億円事件モンタージュ写真で誤解してはいけない3つのポイント
三億円事件のモンタージュ写真については、長年にわたってさまざまな説が語られてきた。しかし、2026年時点で押さえておきたいのは、写真の正体、少年Sの容疑者説、そして実際の犯人の身元を、それぞれ別の問題として捉えることだ。
第一に、モンタージュ写真の人物と真犯人を同一視しないこと。 後年の取材報道では、写真に事件と無関係の実在男性が使われたとされている。写真が有名になったことは、その人物が犯人だった証拠にはならない。
第二に、少年Sの死亡を犯行の証拠にしないこと。 Sが捜査線上に浮上し、銀行員の証言との関連が指摘されたことは事実として報じられている。しかし、警察は最終的にシロと判断したとNHKの2026年番組で紹介された。死亡の経緯と事件への関与は別々に検証しなければならない。
第三に、初動捜査の問題を写真だけに限定しないこと。 2026年のNHK取材では、現場から離れた場所での偽白バイ目撃情報や、従来十分に注目されていなかった女性の証言も取り上げられた。捜査の失敗を考えるには、証言の収集、情報共有、仮説の検証という複数の観点が必要になる。
未解決事件を検証するときは、次の3つの基準で情報を整理すると、噂と事実を混同しにくい。
- 確認できる記録:事件発生日、モンタージュ公開日、写真の破棄、公訴時効など、年表や報道記録で確認できる情報。
- 関係者による証言:銀行員、当時の捜査員、現場を目撃した女性など、誰が何を見聞きしたのか。
- 後年の推理・仮説:少年S犯人説、警察関係者説、写真流用の理由など、裏付けの程度を区別して扱うべき情報。
三億円事件のモンタージュ写真は、犯人を特定するための捜査資料だったはずが、後年には写真そのものの信頼性が問われる存在になった。2026年のNHKの再検証によって、事件の象徴だった一枚の写真が抱えていた問題は、改めて社会に提示されたのである。
三億円事件モンタージュ写真に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三億円事件のモンタージュ写真はいつ公開された?
A1:1968年12月21日。1968年12月10日の事件発生から11日後に公開された。フジテレビの事件年表にも、この日付が記録されている。
Q2:三億円事件のモンタージュ写真は誰の顔だった?
A2:後年の取材報道では、事件前年に事故死した事件と無関係の実在男性の写真が使用されたとされる。少年S本人の写真と同一視するのは正確ではない。写真の使用経緯や選定理由には、なお未解明の部分がある。
Q3:銀行員4人の証言はモンタージュ写真の根拠になった?
A3:後年の取材報道では、4人の銀行員の目撃証言が写真作成の背景にあったとされる。ただし、犯人はヘルメットとマスクを着用し、当日は雨も降っていたため、顔をどこまで正確に認識できたのかという疑問が残る。
Q4:少年Sは三億円事件の犯人だった?
A4:犯人だったと確定した事実はない。少年Sは事件直後に捜査対象として浮上したが、平塚八兵衛はシロと判断したと報じられている。2026年のNHK番組でも、警察がシロと結論づけた人物として紹介された。
Q5:モンタージュ写真はなぜ破棄された?
A5:犯人像としての信頼性に疑問が生じ、1974年12月に正式に破棄されたと報じられている。その後も写真は書籍やテレビ番組などで使用され続け、事件の象徴として残った。
Q6:2026年のNHK「未解決事件」で新たに何が判明した?
A6:当時高校生だった女性の初証言、捜査関係者や報道記者の証言、現場から約20キロ離れた場所での偽白バイに関する重要証言の見落としなどが取り上げられた。犯人の特定には至っていないが、初動捜査の問題を改めて検証する内容となった。
Q7:三億円事件の公訴時効はいつ成立した?
A7:1975年12月10日。事件発生から7年が経過し、犯人が特定されないまま公訴時効が成立した。
三億円事件のモンタージュ写真は、1968年12月21日に公開され、日本中に広く知られることになった。しかし、後年の報道では、事件とは無関係の実在男性の写真が使用されていたという問題が明らかになり、1974年12月には写真そのものが正式に破棄されたとされる。
銀行員4人の証言から浮上した少年S、捜査の見直しに加わった平塚八兵衛、初動段階で見落とされた重要証言。そして2026年のNHK「未解決事件」が取り上げた当時の高校生の女性による初証言。これらは、事件を単なる犯人探しではなく、捜査の過程そのものを検証する必要性を示している。
1975年に公訴時効が成立してから50年以上が経過した2026年現在も、実行犯の身元は確定していない。モンタージュ写真の人物を犯人だと決めつけず、実際の目撃証言と捜査記録を分けて読み解くことが、この事件の本質に近づくための出発点となる。
一枚の写真が人々の記憶に残したものは、必ずしも真犯人の顔ではなかった。三億円事件のモンタージュ写真は、捜査における証拠の信頼性と、社会に広まったイメージを事実として受け入れる危うさを、今も問い続けている。